所感

2017年10月6日 乃木坂46
実は現在酔っ払いの状態で書いています。おそらく後日書き直すと思いますので、その前提で読んでください。
伊藤万理華さんの卒業は旅行中に知りました。旅行中はネット遮断をして、世間の出来事から切り離された状態を維持するようにしていたのですが、夜の9時30分ころにちょっとだけチェックするかとスマホの電源を入れたところで発見した訳です。
このブログで書いたことがあるはずですが、私は乃木坂の「心」という意味で伊藤万理華さん、井上小百合さん、斉藤優里さんを代表メンバーと考えていました。その他のメンバーが乃木坂らしくないという意味ではなく、ビジュアル面ではまいやん、芸能(ミュージカルなど)ではいくちゃんなど、乃木坂をいろいろな分野で表現しているメンバーはたくさんいます。そのすべてのメンバーが乃木坂を構成している重要な要素になっていることは間違いのない事実です。しかし、乃木坂が個々の重要なメンバーの集合体であるとしても、やはりその精神と言いますか重心と言ってもいいのかも知れないのですが、集約した結果はこれであるという座標軸の原点みたいなものがあるように思うのです。それを定義しているのが先ほど書いた3人だと言うのが私の意見です。過去にも寧々さんとからりんさんとかまいまいとかななみんとか座標軸の定義を構成していたメンバーが卒業したときに大きく原点の移動がありました。結果的には座標変換が発生し、乃木坂という空間の定義が変わりました。今回の万理華さんの卒業で再び定義は大きく変わりました。
私はひめきゅんなのでひめたんの卒業には精神的に大きくダメージを受けましたが、彼女は乃木坂の中にあっては異色の存在で、それがゆえに私がひめきゅんであったとは思うものの、彼女の卒業でダメージを受けるのは私の心であって、乃木坂の座標変換は起こらなかったと考えています。
しかし今回の万理華さんの卒業は、それが前向きであることにより更に乃木坂の定義に与える影響は大きかったと言うべきでしょう。乃木坂の心を代表するメンバーが残れない組織とは一体何なのか。その疑問に対して、私は回答を用意できません。
心が虚ろになるという状態を久しぶりに経験しました。
乃木坂はこれからどうなって行くのでしょうか。

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