アイドル論という締めくくり
2017年12月23日 乃木坂46ひめたんの最後のブログが更新されました。
このブログを書いている23日16:30時点で5,000を越えるコメントが寄せられています。私以外の皆さんは最後を待っていたかのようです。
もう何も言うことはないのですが、ひめたんが最後に残したアイドル論は、アイドルという職業に限られたことではなく、専門性の高い職業に共通する仕事への情熱の衝動だと思うのです。
以前、天才は世間に認められることにより天才になると書きました。どんな仕事でも世間に認められることが最大の報酬であることに違いはありません。認められることにより自分の存在意義を確認する。人生はそういう作業で始まり終わるものではないでしょうか。
私の人生はともかくとして、ひめたんの人生はまだ終わっていません。彼女の人生はこれからが最も大切なときです。乃木坂を離れると決心したときから、もう私たちファンの手からも飛び立つことになったわけですから、彼女のこれまでの人生は今後の彼女自身で決めていくものなのでしょう。そこには彼女が苦しんだ乃木坂という枠はなく、中元日芽香という一人の人間がいるだけの自由な世界です。ご本人もこれまでの努力が正解であったか否かはこれからのご自身の行いにより決まっていくものとおっしゃっていますので、私たちにできることは彼女の今後が輝かしいものになることを祈るだけです。
私が参加した過去の全国握手会3回(全握自体には4回参戦したものの入場待機列の長さのため握手できずに帰ったのが1回ありました)でひめたんには3回お目にかかりました。私はいつか来るこの日を想定していたのか、頑なにひめたんにびーむを撃ってもらいませんでした。私はひめたんが乃木坂内で生み出したびーむやツインテールやりぼんや王国を前提としない世界で、彼女がまた新たな輝きを見せるよう期待しています。できればその姿を見たいと思っています。
このブログでひめたんを語るのは今日で一旦おしまいにしようと思います。
ブログ自体は続けるつもりです。私が興味を持ったものごとの軌跡を残していくためにも。
(895)
このブログを書いている23日16:30時点で5,000を越えるコメントが寄せられています。私以外の皆さんは最後を待っていたかのようです。
もう何も言うことはないのですが、ひめたんが最後に残したアイドル論は、アイドルという職業に限られたことではなく、専門性の高い職業に共通する仕事への情熱の衝動だと思うのです。
以前、天才は世間に認められることにより天才になると書きました。どんな仕事でも世間に認められることが最大の報酬であることに違いはありません。認められることにより自分の存在意義を確認する。人生はそういう作業で始まり終わるものではないでしょうか。
私の人生はともかくとして、ひめたんの人生はまだ終わっていません。彼女の人生はこれからが最も大切なときです。乃木坂を離れると決心したときから、もう私たちファンの手からも飛び立つことになったわけですから、彼女のこれまでの人生は今後の彼女自身で決めていくものなのでしょう。そこには彼女が苦しんだ乃木坂という枠はなく、中元日芽香という一人の人間がいるだけの自由な世界です。ご本人もこれまでの努力が正解であったか否かはこれからのご自身の行いにより決まっていくものとおっしゃっていますので、私たちにできることは彼女の今後が輝かしいものになることを祈るだけです。
私が参加した過去の全国握手会3回(全握自体には4回参戦したものの入場待機列の長さのため握手できずに帰ったのが1回ありました)でひめたんには3回お目にかかりました。私はいつか来るこの日を想定していたのか、頑なにひめたんにびーむを撃ってもらいませんでした。私はひめたんが乃木坂内で生み出したびーむやツインテールやりぼんや王国を前提としない世界で、彼女がまた新たな輝きを見せるよう期待しています。できればその姿を見たいと思っています。
このブログでひめたんを語るのは今日で一旦おしまいにしようと思います。
ブログ自体は続けるつもりです。私が興味を持ったものごとの軌跡を残していくためにも。
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