できそこない会社員の私が言うのも何ですが、皆さん仕事ができなさすぎる。
仮に仕事を次のような4つの段階に分けたとします。
(1)与えられた仕事をマニュアルに従って完成させる
(2)マニュアルでは解決できない仕事かどうかを判断する
(3)マニュアルでは解決できない仕事を解決する方法を考案して完成させる
(4)将来の課題を設定して現状の仕事のやり方を見直す
私のまわりの多くの人は(1)が既に怪しくて、(2)ができる人は少数です。ただ、マニュアルでは解決できないと判断した時点で思考停止するため、(3)以上には進めない状態のようです。
少なくとも(4)の段階にいる人が複数いなければ、将来はありません。そういう意味で未来の予想は簡単で、現状の業績をc0、現在時刻t=0とすると将来の時刻tにおける業績は(適当な定数aを入れておきます)c0*exp(-a*t)になりそうです。
この表題の歌の中には「君は行くのかそんなにしてまで」というのが出てきますが、これはこの現在の「若者」の仕事能力の総計がc1*(1-exp(-a*t))(c1>c0)になるからこそ道は「希望」に続くのであって、先ほどの式の働きしかできないようなら給料をもらう資格はありません。
年配の社員が給料泥棒だと思う前に、自分の能力の不足についてきっちりと考えてみる必要があるのではないでしょうか。
aの値やtの単位の取り方によって半減期がどのくらいになるかが決まりますが、私の感覚では半減期は3年くらいかな。心して覚悟せよ現代の若者よ!


本題とは関係ないかもしれませんが、今日アップされた井上小百合さんのブログに、外仕事での芝居の場面で「いつも乃木坂の看板を背負って立ってる」感覚を持っているとのお話があり、この人は偉いと思いました。(実は前から思っています)一方で、今の「若者」は言うことは一人前ですが、世間的には0.01人前であるように思います。自分のことで精一杯で、自分の所属している組織の看板のことなど微塵も考えられていないのではないでしょうか。私は左に巻いていくような戦後教育の行き着いた先が今の若者の姿だと思っています。「自分」が一番大切で、「自分」を中心に生きていて、「まわり」とは適当な距離を取って適当にやっていればいいという感覚でしょうか。私はときどき聞く「自分の置かれている場所で花を咲かせる」という言葉が嫌いです。この言葉は自分の好きなことをして満足できればよいという一種のさぼりの免罪符として受け取られているようですが、私はいつもこのブログで主張しているように社会に還元して初めて人間として存在する意味があると思っています。

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