かねてよりここに記していた源氏物語原文の通読を行っています。
原文とは言っても、さすがに何の補助もない状態では分からない単語や表現は分からないままになってしまいますので、角川文庫「源氏物語 付現代語訳 玉上琢彌=訳注」をテキストとして使用しています。ただし、現代語訳はほとんど見ませんし、訳注もそれほど多くはないので、読み方としてはほぼ原文を読んでいると思っていただくのが正しいかと思います。
現在紅葉賀(もみじのが)があと少しというところです。
源氏物語にはもう信じられないくらい美しい表現や描写がたくさんあります。今日読んでいた部分では、二条院に住まわせられている姫君(紫の上)のところへ源氏が来て琴を教えるなどした後、明かりを灯すころになって源氏のお付の者が「そろそろ出発の時間だ」と促すあたりの姫君のかわいい様子が見事に描かれているので、渋谷栄一さんがネットで公開されているテキストをここに引用します。ただし、改行を省くなどの加工はしています。

大殿油参りて、絵どもなど御覧ずるに、「出でたまふべし」とありつれば、人びと声づくりきこえて、「雨降りはべりぬべし」など言ふに、姫君、例の、心細くて屈したまへり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるを、かき撫でて、「他なるほどは恋しくやある」とのたまへば、うなづきたまふ。
「我も、一日も見たてまつらぬはいと苦しうこそあれど、幼くおはするほどは、心やすく思ひきこえて、まづ、くねくねしく怨むる人の心破らじと思ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。おとなしく見なしては、他へもさらに行くまじ。人の怨み負はじなど思ふも、世に長うありて、思ふさまに見えたてまつらむと思ふぞ」など、こまごまと語らひきこえたまへば、さすがに恥づかしうて、ともかくもいらへきこえたまはず。やがて御膝に寄りかかりて、寝入りたまひぬれば、いと心苦しうて、「今宵は出でずなりぬ」とのたまへば、皆立ちて、御膳などこなたに参らせたり。姫君起こしたてまつりたまひて、「出でずなりぬ」と聞こえたまへば、慰みて起きたまへり。もろともにものなど参る。いとはかなげにすさびて、「さらば、寝たまひねかし」と、危ふげに思ひたまへれば、かかるを見捨てては、いみじき道なりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。

源氏の膝の上で眠ってしまう姫君を見て、出掛けるのを止めた源氏に対して、目を覚ました姫君が、源氏が出掛けないかと心配ですぐに寝るように源氏に言うあたりを読んでいると、目の前にその様子が映画の画面のように広がる気がしますね。

皆さんも源氏物語をお読みになってみませんか。ほとんどの日本人は源氏物語の存在は知っていても、教科書に出てくる部分以外は読んだことがないはず。おそらく、そんなあなたは源氏物語に対して、誤った先入観を持っていることと思います。現代語訳でもいいので一度通読されることをお勧めします。
ちなみにいろいろ読み比べた中で、私が最も原文の雰囲気を伝えていると感じるのは円地文子訳のものなのですが、新潮文庫はこの文庫本を絶版にしてしまっているので、今では入手するのは難しいと思います。今私が読んでいる玉上琢彌先生の本には現代語訳もありますので、とりあえずこれを入手しておけば、いずれは原文を読めるようになるかもしれません。あるいは原文にチャレンジしたくなったときに、もう既にあなたの手元に原文があるという状況を用意しておくことができます。
ぜひご一考ください。

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