少し時間が経ちました。2018年10月11日に掲載された中村麗乃さんのブログ「儚い。83」について思ったことを書きたいと思います。
麗乃さんのブログの文章をいくつか引用します。
「最近たくさん卒業発表があったので、/思うことがありまして。/失いそうになった時に気付いても遅いってこういうことか...と思いました。」と能條愛未さんの卒業に触れ、「出会った時からお別れというものはすぐそこにあるもので。/難しい...。」と括られています。(引用は「」内、/は改行が行われたことを示しています。また空行はスペースの関係ですべて削除しています。)
麗乃さんのように若い時代は、失うものより新しく出会うものの方が数としては圧倒的に多くて、大事な人との関係が何らかの変化をするような(極端には死別、遠隔地への移動、その他の事情により物理的に会えなくなるなど)機会には、比較的大きなショックを受けるかもしれません。しかし、年を取るに連れ出会うものより失うものの方が圧倒的に多数になり、それが日常的になると、一つひとつは大したショックではないかというと、むしろ失われたものに代わる新たな出会いが期待できないことから、若い頃よりもショックは大きいというのが最近の私の感じるところです。
それでは心の安寧が保てないのでどうするかというと、常に失われることを想定して失われた状態が発現した場合に備えておくのです。そうすればショックは僅かながら緩和されるかもしれない。でもいつもうまく行くわけではありません。というのも常に想定外の事象が発生するからです。その経験により想定の範囲は更に拡大され、結果としてもう何から何まで失われることを前提とした行動様式に陥る傾向があるようです。
もう一つの方法もあります。それは失われる前から自分で整理をしておくことです。すなわち物なら捨てる、データなら消す、記憶なら忘れる、人間関係なら断つ(と言っても絶交するわけではなく通信が途絶えた状態にしておく)ということを進めて行けば、失われること自体をなくすことが可能です。自分で失われた状態にしているのだから同じじゃないかと思われるかもしれませんが、自分の手で一つずつ執行するということは、予想しない喪失という事態の発生を回避することに繋がり、突然の喪失という最大の危機の頻度を低下させることができるのです。でも私について言えば、この方法はあまり効果を発揮していないようです。つまり捨てられない。
そこで最終手段として失われないようにしておくことを代替案として考えます。ただこれは猛烈に難しくて、自分の思いどおりにはならないことだらけで、非常に効率が悪い。考えてみれば、私が乃木坂の特定のメンバーのブログにコメントを書いているのは、別に認知されたいからではなく、それにより少しでもそのメンバーのモチベーションの持続に繋がればいいと考えているのです。でも私はひめたんのときに、この行為は単に私の我儘であり、正の効果が非常に少ない(例えばメンバー自体がコメントを読んでいないかもしれないし、正しく意図が伝わっていないかもしれない)のに比して、場合によっては負の効果の方が大きいということを学びました。
それを考えると、麗乃さんの最後の言葉「難しい...。」には深い含蓄が含まれていると感じざるを得ません。
今日は本当に戯言でした。最後まで落ちのないつまらない話にお付き合いいただいてありがとうございました。新幹線内で書いていると大抵つまらない文章になってしまいますね。
(ちなみに麗乃さんのブログは上記の「難しい...。」のあとに、「何気なく過ごしてる1日を大切にしたいな。」という前向きな言葉が続いています。若いっていいなあ。)
(2303)
麗乃さんのブログの文章をいくつか引用します。
「最近たくさん卒業発表があったので、/思うことがありまして。/失いそうになった時に気付いても遅いってこういうことか...と思いました。」と能條愛未さんの卒業に触れ、「出会った時からお別れというものはすぐそこにあるもので。/難しい...。」と括られています。(引用は「」内、/は改行が行われたことを示しています。また空行はスペースの関係ですべて削除しています。)
麗乃さんのように若い時代は、失うものより新しく出会うものの方が数としては圧倒的に多くて、大事な人との関係が何らかの変化をするような(極端には死別、遠隔地への移動、その他の事情により物理的に会えなくなるなど)機会には、比較的大きなショックを受けるかもしれません。しかし、年を取るに連れ出会うものより失うものの方が圧倒的に多数になり、それが日常的になると、一つひとつは大したショックではないかというと、むしろ失われたものに代わる新たな出会いが期待できないことから、若い頃よりもショックは大きいというのが最近の私の感じるところです。
それでは心の安寧が保てないのでどうするかというと、常に失われることを想定して失われた状態が発現した場合に備えておくのです。そうすればショックは僅かながら緩和されるかもしれない。でもいつもうまく行くわけではありません。というのも常に想定外の事象が発生するからです。その経験により想定の範囲は更に拡大され、結果としてもう何から何まで失われることを前提とした行動様式に陥る傾向があるようです。
もう一つの方法もあります。それは失われる前から自分で整理をしておくことです。すなわち物なら捨てる、データなら消す、記憶なら忘れる、人間関係なら断つ(と言っても絶交するわけではなく通信が途絶えた状態にしておく)ということを進めて行けば、失われること自体をなくすことが可能です。自分で失われた状態にしているのだから同じじゃないかと思われるかもしれませんが、自分の手で一つずつ執行するということは、予想しない喪失という事態の発生を回避することに繋がり、突然の喪失という最大の危機の頻度を低下させることができるのです。でも私について言えば、この方法はあまり効果を発揮していないようです。つまり捨てられない。
そこで最終手段として失われないようにしておくことを代替案として考えます。ただこれは猛烈に難しくて、自分の思いどおりにはならないことだらけで、非常に効率が悪い。考えてみれば、私が乃木坂の特定のメンバーのブログにコメントを書いているのは、別に認知されたいからではなく、それにより少しでもそのメンバーのモチベーションの持続に繋がればいいと考えているのです。でも私はひめたんのときに、この行為は単に私の我儘であり、正の効果が非常に少ない(例えばメンバー自体がコメントを読んでいないかもしれないし、正しく意図が伝わっていないかもしれない)のに比して、場合によっては負の効果の方が大きいということを学びました。
それを考えると、麗乃さんの最後の言葉「難しい...。」には深い含蓄が含まれていると感じざるを得ません。
今日は本当に戯言でした。最後まで落ちのないつまらない話にお付き合いいただいてありがとうございました。新幹線内で書いていると大抵つまらない文章になってしまいますね。
(ちなみに麗乃さんのブログは上記の「難しい...。」のあとに、「何気なく過ごしてる1日を大切にしたいな。」という前向きな言葉が続いています。若いっていいなあ。)
(2303)
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