私が北海道を旅行しなくなったのは、ひぐまの問題もありますが、純粋に楽しめる場所ではなくなったからです。北海道だけではなく、京都にも行かなくなりました。
私が住んでいる国である日本は、インバウンドにその成長の多くを頼っているように見えます。しかし、観光客の増加に伴って、それまでの暗黙の了解やいわゆる常識というものが日本人自体も含めて大きく変わってきているようです。そのしわ寄せは観光客の多い地域に集中し、市民生活に対する負担が無視できないほどになって来ているように感じます。私たちの税金やその他の貢献により作られてきたインフラを利用した観光客がもたらす金銭的効果を、インバウンドで潤う者だけが独占的かつ一時的に享受している状態というのは、冷静になって考えてみると偏っているという気がしてなりません。表現が適切かどうかわかりませんが、「短期的に濡れ手に粟を狙う無節操な商売」というものでしょうか。
いや、労働集約的で非効率な観光事業というものを国の産業の柱にするのはどうなのかと感じていると言った方がより直接的かもしれません。私は渡道暦30年以上、渡道回数30回以上の北海道大好き人間なのですが、今のようなインバウンドの波が来る以前の北海道に対して感じていたことも同じです。生産性や付加価値の高い産業ではなく、自治体の補助金に頼り短期的観点から構成された張りぼて観光に頼った街作り(街興しというようなもはや冗談としても笑えない表現を使っている時代もありました)を目指していた北海道には将来はないと思っていました。北海道観光ブームは若者の旅志向の減退(それは情報網の発達による部分もあるでしょうが、多くは貧困化に起因するのではないか)に伴って終焉を迎え、今では北海道には廃屋しかありません。それを今またインバウンド観光客に対する薄っぺらなサービスによる観光事業に頼っているというのは、滑稽にしか見えません。
何事も昔がいいとは思いませんが、若者が探究心を持って知識や技術を習得しながら成長・活動し、生活に十分な賃金を得て、将来に希望が持てる国にしなくてはならないのではと思います。労働集約的な産業では、より低賃金労働者に太刀打ちできず、多くの若者はさらに貧困化するでしょうから。

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