2019年の13日の金曜日は9月と12月に2回あります。しかし斉藤優里さんの13金企画は乃木坂46公式ブログでは見ることはできません。
ゆったんの卒業発表は前触れなくやって来たため、私はひどく面喰いました。かりんさんのは1年程度前からほのめかしがあったため、十分な心の準備ができていました。ゆったんの卒業は七瀬さんのと同じくらい予想外の出来事でした。
以前このブログで書いたと思うのですが、私は乃木坂46の心は伊藤万理華さんと、井上小百合さんと、斉藤優里さんでできていると考えていました。3人の内、既に2人が卒業済みと卒業予定であり、残るさゆさんも何となく最近の乃木坂本体とのかかわりの少なさからしてそういつまでもいてくれるものではないと感じていいます。
この3人すべてがいない乃木坂とは一体何なのでしょうか。もちろん残るメンバーが乃木坂にふさわしくないというようなことはまったく考えていません。私にとっての乃木坂のこころがこの3人だと私が勝手に感じているだけなのですが、近い将来、3人ともいない状態になったときに私は乃木坂に何を見ればいいのでしょうか。なぜそんなばかげたことを考えているのかと言うと、私にとって乃木坂のこころがなくなっても乃木坂という実体は存在し続けているだろうからです。
私のこの7年ほどの時間の多くは、中元日芽香さんという特別な人と乃木坂46という特別なグループと共にありました。ひめたんは既に概ね私の視界から外れてしまった状態になっていますが、彼女が所属した場所である乃木坂というグループは辛うじてこころの一部を保ったまま存在しています。それがすべて失われてしまうのも時間の問題となっている今、私は私のこころを静穏に保つためには何をすればいいのでしょうか。おそらく私は乃木坂という名前が彫られた墓石を建てればいいのだということは薄々感じています。それならそれはどこに建てるべきなのでしょうか。答えは簡単で、私のこころの中に建てればいいのです。
今、私は私のこころの中に建てるべき墓石とその場所を選定しているところです。それは4月13日にはおそらく間に合わなくて、9月13日か12月13日頃には目処が立つのではないかと感じています。
ゆったんが真冬に薄着で広場の中央にひとりで立っている白黒の映像を思い浮かべながら、その場所をこころの中に嵌め込む作業を着実に進めなければなりません。つらくはないですが容易でもない作業になるような予感がしています。
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ゆったんの卒業発表は前触れなくやって来たため、私はひどく面喰いました。かりんさんのは1年程度前からほのめかしがあったため、十分な心の準備ができていました。ゆったんの卒業は七瀬さんのと同じくらい予想外の出来事でした。
以前このブログで書いたと思うのですが、私は乃木坂46の心は伊藤万理華さんと、井上小百合さんと、斉藤優里さんでできていると考えていました。3人の内、既に2人が卒業済みと卒業予定であり、残るさゆさんも何となく最近の乃木坂本体とのかかわりの少なさからしてそういつまでもいてくれるものではないと感じていいます。
この3人すべてがいない乃木坂とは一体何なのでしょうか。もちろん残るメンバーが乃木坂にふさわしくないというようなことはまったく考えていません。私にとっての乃木坂のこころがこの3人だと私が勝手に感じているだけなのですが、近い将来、3人ともいない状態になったときに私は乃木坂に何を見ればいいのでしょうか。なぜそんなばかげたことを考えているのかと言うと、私にとって乃木坂のこころがなくなっても乃木坂という実体は存在し続けているだろうからです。
私のこの7年ほどの時間の多くは、中元日芽香さんという特別な人と乃木坂46という特別なグループと共にありました。ひめたんは既に概ね私の視界から外れてしまった状態になっていますが、彼女が所属した場所である乃木坂というグループは辛うじてこころの一部を保ったまま存在しています。それがすべて失われてしまうのも時間の問題となっている今、私は私のこころを静穏に保つためには何をすればいいのでしょうか。おそらく私は乃木坂という名前が彫られた墓石を建てればいいのだということは薄々感じています。それならそれはどこに建てるべきなのでしょうか。答えは簡単で、私のこころの中に建てればいいのです。
今、私は私のこころの中に建てるべき墓石とその場所を選定しているところです。それは4月13日にはおそらく間に合わなくて、9月13日か12月13日頃には目処が立つのではないかと感じています。
ゆったんが真冬に薄着で広場の中央にひとりで立っている白黒の映像を思い浮かべながら、その場所をこころの中に嵌め込む作業を着実に進めなければなりません。つらくはないですが容易でもない作業になるような予感がしています。
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