何かに誘われるようにパソコンを立ち上げたら
2019年4月3日 乃木坂46今日(2019年4月3日)はさゆさんと梅さんがブログを更新してくれました。
梅さんとみり愛さんの組合せが意外でちょっとびっくりしました。でもお二人は学年こそ違えど同じ1999年生まれなのですね。
さて、彼女はブログの中で次のように語っています。
「当たり前が当たり前でなくなる瞬間が/この世にいくつも存在することを/信じたくなくて必死にもがきます//寂しさはきっとずっと拭えないけど/先輩達が残してくださったものを/私たち後輩が受け継いでいって/乃木坂がずっとずっと愛されるグループであれるように/私達もなにかを残せる人であれるように/今は頑張るのみです。」
特に「ずっとずっと愛される」と「私達もなにかを残せる人であれるように」のところは胸にずしんと来ました。忙しい中でブログを更新してすてきな言葉を記してくれる梅澤美波さんにたくさん感謝しています。
一度パソコンの火を落としてから、再度確認のためにパソコンを立ち上げたらこんな幸せなことがありました。随時更新の乃木坂ブログは担当スタッフのみなさんも含めてほんとうにGood Job!ですね。
(3252)
(2019年4月27日追記)
美波さんの表現に「あれるように」が出てきますが、なぜ私には違和感があるのかと考えてみました。「ある」は五段活用の動詞で、可能を表す助動詞「れる・られる」は動詞の未然形に接続し、五段活用の動詞の場合は「れる」が用いられます。ということは「ある」の未然形「あら」+助動詞「れる」=「あら・れる」というのが「あることができる」という意味を表す表現になり、今回の「あ・れる」は正しくないことになってしまいます。ただ、以前このブログで書いたことがあるように思うのですが、例えば「走る」の可能形は「走られる」なのですが普通は「走れる」と可能動詞を用いますよね。一方で偉い人が走る場合に「走られる」というのはぎりぎり受け入れられる表現でしょうか。つまり尊敬を表す「れる・られる」は使われても、可能を表す場合には使われないことがあるということで、この美波さんの表現の「あれる」は「あ・れる」ではなくて、可能動詞の「あれる」なのでしょう。少ししっくり来たように感じます。違うのか?
梅さんとみり愛さんの組合せが意外でちょっとびっくりしました。でもお二人は学年こそ違えど同じ1999年生まれなのですね。
さて、彼女はブログの中で次のように語っています。
「当たり前が当たり前でなくなる瞬間が/この世にいくつも存在することを/信じたくなくて必死にもがきます//寂しさはきっとずっと拭えないけど/先輩達が残してくださったものを/私たち後輩が受け継いでいって/乃木坂がずっとずっと愛されるグループであれるように/私達もなにかを残せる人であれるように/今は頑張るのみです。」
特に「ずっとずっと愛される」と「私達もなにかを残せる人であれるように」のところは胸にずしんと来ました。忙しい中でブログを更新してすてきな言葉を記してくれる梅澤美波さんにたくさん感謝しています。
一度パソコンの火を落としてから、再度確認のためにパソコンを立ち上げたらこんな幸せなことがありました。随時更新の乃木坂ブログは担当スタッフのみなさんも含めてほんとうにGood Job!ですね。
(3252)
(2019年4月27日追記)
美波さんの表現に「あれるように」が出てきますが、なぜ私には違和感があるのかと考えてみました。「ある」は五段活用の動詞で、可能を表す助動詞「れる・られる」は動詞の未然形に接続し、五段活用の動詞の場合は「れる」が用いられます。ということは「ある」の未然形「あら」+助動詞「れる」=「あら・れる」というのが「あることができる」という意味を表す表現になり、今回の「あ・れる」は正しくないことになってしまいます。ただ、以前このブログで書いたことがあるように思うのですが、例えば「走る」の可能形は「走られる」なのですが普通は「走れる」と可能動詞を用いますよね。一方で偉い人が走る場合に「走られる」というのはぎりぎり受け入れられる表現でしょうか。つまり尊敬を表す「れる・られる」は使われても、可能を表す場合には使われないことがあるということで、この美波さんの表現の「あれる」は「あ・れる」ではなくて、可能動詞の「あれる」なのでしょう。少ししっくり来たように感じます。違うのか?
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