今はなきAKB48SHOWの別冊版である乃木坂46SHOWで少し前に放送された日常をこのところたびたび見ています。
曲全体を通じてセンターの日奈子さんの強い視線を感じながら、全員がきびきびと踊るところを見ていると、乃木坂でかつてこれほどの緊張感をもって歌われた曲があっただろうかと思わされます。
日奈子さんの体調が万全かどうかは私にはわからないながらも、前方をきっと見つめる日奈子さんの視線にはこの歌に対する本気度の強さを感じることができます。そしてその緊張感が日常の参加メンバーすべてにも漲っていて、日奈子さんの存在がこの日常を作っているのか、それとも参加メンバーの思いがこの日奈子さんを作っているのか、いやその両方かもしれないなどととめどなく思考がぐるぐるしてしまいます。
選抜のメンバーは確かに素晴らしいです。しかし、乃木坂46というグループは所属する(した)メンバーすべてのさまざまな努力や感情や希望や挫折ややさしさや厳しさによって形成されているということを私たちファンは忘れてはならないのではないかと思います。
ネットではこれまでの経緯を知らないファン(といっていいのか疑わしいのもいますが)がメンバーを悪しざまに書いているのを見ることがあります。そのような意見は少数派であっても声高に叫ばれるとそれが全体の意見であると簡単に錯覚し信じて同調してしまう多数派がいて、まるで全体主義のような麗しくない状況が生まれていると私には見えます。
日奈子さんを含む今回の日常参加メンバーはそんなことがまったくの間違いであると確かに教えてくれているように思えるのですが、そのような意見を聞くことはありません。日奈子さんの魂の叫びのようなこれまでの彼女のブログを読めば簡単に気づけることだと思います。一度彼女のブログを読み返してみてはいかがでしょうか。そして、彼女の復活のエクスプロージョンであるこの日常という歌を改めて眺めていただきたいと思います。

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