東京大学の入学式で上野千鶴子さんの祝辞があったようで、ネットで全文が公開されています。彼女の専門については社会学者という肩書き以外についてはよく知らないのですが、祝辞を読んで感じたことを2,3書きます。
まず「東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、ひかれるから、だそうです。」とありますが、私の知る限り、男性の学生も大学名を聞かれて東京大学と答える人をあまり見たことがありません。なぜなら特別視や批判の対象になり得るからです。理由の違いはあっても行為傾向には差はありません。
「東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。」。これは特別禁止する規則(お話によると警告は出ているようですが)も、そのようなサークルの存在を否定する理由もありません。このようなサークルはいわゆるジョイントサークルと呼ばれ、東大の男子学生が他大学の女子学生との交流を行おうとして企画・運営されているからです。ここには東京大学の女子学生が加入する意味も必要性もありません。男子学生に限るという掟がいけないとするならば、アイザック・アシモフの黒後家蜘蛛の会のようなものも好ましくないということになるのでしょうか。私的集まり(大学のサークルは学生の自主運営によって成り立っている)のルールが差別的と考えるのには、もう少し厳しい要件が必要ではないかと考えます。反例といえるかどうか自信はありませんが、東京大学の女子学生にしか参加資格がなく、学外のメンバーは他大学の男子学生のみというサークルが概念上は考えられる以上、平等な条件であると考えることができるのではないでしょうか。
「あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。(中略)あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。/恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」。これは常々私も考えていることです。これは男女かかわらず東京大学を卒業したすべての人々に課された社会的責務です。これには全面的に賛同します。
「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。/知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。/ようこそ、東京大学へ。」、についても全面的に賛同します。多くの人々にとってメタ知識の習得は難しくても、東京大学の学生には可能な人が多いと考えられます。これがあるからこそ東京大学の卒業生には社会的な期待がかかっていると言えるでしょう。
フェミニズムという観点からの分析のみが、東京大学入学生全員に共通した課題や目標であると考えることはできませんが、祝辞の中で提案されていることはある適度一般化できることだと思います。
私が東京大学の入学生に期待することは、リベラルアーツを十分に血肉として獲得し、それを前提に社会への貢献を目指して欲しいと言うことです。傑出した才能とバランス感覚の両方を備えたエリートとしての活躍を期待しています。
(3313)
まず「東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、ひかれるから、だそうです。」とありますが、私の知る限り、男性の学生も大学名を聞かれて東京大学と答える人をあまり見たことがありません。なぜなら特別視や批判の対象になり得るからです。理由の違いはあっても行為傾向には差はありません。
「東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。」。これは特別禁止する規則(お話によると警告は出ているようですが)も、そのようなサークルの存在を否定する理由もありません。このようなサークルはいわゆるジョイントサークルと呼ばれ、東大の男子学生が他大学の女子学生との交流を行おうとして企画・運営されているからです。ここには東京大学の女子学生が加入する意味も必要性もありません。男子学生に限るという掟がいけないとするならば、アイザック・アシモフの黒後家蜘蛛の会のようなものも好ましくないということになるのでしょうか。私的集まり(大学のサークルは学生の自主運営によって成り立っている)のルールが差別的と考えるのには、もう少し厳しい要件が必要ではないかと考えます。反例といえるかどうか自信はありませんが、東京大学の女子学生にしか参加資格がなく、学外のメンバーは他大学の男子学生のみというサークルが概念上は考えられる以上、平等な条件であると考えることができるのではないでしょうか。
「あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。(中略)あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。/恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」。これは常々私も考えていることです。これは男女かかわらず東京大学を卒業したすべての人々に課された社会的責務です。これには全面的に賛同します。
「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。/知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。/ようこそ、東京大学へ。」、についても全面的に賛同します。多くの人々にとってメタ知識の習得は難しくても、東京大学の学生には可能な人が多いと考えられます。これがあるからこそ東京大学の卒業生には社会的な期待がかかっていると言えるでしょう。
フェミニズムという観点からの分析のみが、東京大学入学生全員に共通した課題や目標であると考えることはできませんが、祝辞の中で提案されていることはある適度一般化できることだと思います。
私が東京大学の入学生に期待することは、リベラルアーツを十分に血肉として獲得し、それを前提に社会への貢献を目指して欲しいと言うことです。傑出した才能とバランス感覚の両方を備えたエリートとしての活躍を期待しています。
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