25日のブログで梅澤美波さんが書いているある部分に私は驚きました。それは23rdシングルの選抜に選ばれたことについて触れている、
「色んな意見があることも
承知しています。でも、
応援して下さる方のために
私は笑顔で頑張りたいのです。
堂々とステージに立つ姿を見せたいのです。
一人でも多くの方の笑顔を見られるように、
私も笑顔でいたいのです」
の「色んな意見があることも承知しています。」の部分です。色んな意見というのは何なのでしょうか。梅澤さんが選抜に相応しくないというような意見でしょうか。もしそうだとすると、それは意見というものではなく、ただのネットに書き込まれた文字の連なりでしかありません。
人間社会における活動の評価というのは大変に難しいことです。様々な活動はすべてよいところと悪いところを併せ持っています。だから一概にいいとも悪いとも決められないのが普通であり自然な姿です。
自分の主義や趣向に合わないからといって、その気持ちを一方的に「正しい意見」として主張することはあまりにも乱暴で幼稚な行為であると言えるでしょう。
一方で美波さん側もそのような単なる文字列を「意見」と捉えるのはまた危険であると私には思えます。このブログも同じですが、今どきネット上で匿名で発せられている情報には何の裏づけも責任もありません。(本来的には責任はあっても発信している当事者にはその意識がないか責任能力自体がない)
とは言え、まいみん3箇条の2にもあるように、「寛大な心を持つ。
アンチの主張も考え方の1つとして受け入れる。」を実践しているとも言え、色々なことがあっても乃木坂界隈を基本的に平和にしている考え方を実践しているとも考えられます。
以前の記事に書いたように今回の選抜で1期、2期、3期の人数バランスは大きく改善されました。個々人を見るとどうしてこのメンバーが選ばれないのかと思うところはありますが、全体の割合としては妥当な姿に近づいていることは間違いありません。これは乃木坂史上画期的なことであり、23rdの活動とそれ以降の選抜のあり方によっては、理想的な期毎の役割の受け渡しが成功する可能性があるのかもしれません。
そのような大きな流れの中で、今回美波さんが選抜であることは何の不思議もありません。寧ろ当然と言うべきでしょう。ましてや選抜に選んだのは経営している人たちなのであって、その選択については美波さん自身には何の責任もありません。
考えてみれば新センターの飛鳥さんにしても美波さんにしても新成人なのですから謂わば大人の中にあってもまだまだひよっこであると言えでしょう。彼女たちに対して、大人がもっと心配しないでよい環境を作るべきなのだと思います。それは運営側の人間においては当たり前として、ファンの側にとっても同じことが言えるのではないでしょうか。
某巨大掲示板の「おっさんDDヲタスレ」が「おっさん」でも「DDヲタ」でもなくなり幼児化しているように、世間も幼児化しているのが気になっているところです。

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(2019年4月28日修正)
まったく把握していなかったので何気なく「雑音」という表現を使っていましたが、最近世間で話題の「雑音」との混交を避けるため、表現を修正しました。

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