某権力者の事件関与が第三者によって否定されていますが、これは伝聞情報だけで判断できるものではないと思います。直接本人が証言したのであれば、それが事実と判明したときには誰もが納得できますし、もし事実と異なることが判明したときは偽証となって「嘘つき」の烙印を捺されることになります。
この国では嘘つきは泥棒の始まりという考え方が昔からなされています。私たちはそう教えられて育ってきました。信用の失墜が即ち反社会的存在になり得ることと等価だという考え方です。清廉潔白がデフォルトであって少しでも疑念を持たれた段階でアウトという認識です。ばれなければよいという考え方は全く存在しません。お天道様が見ていることによりばれていないということは無実の証明にはなりません。
当たり前の日本人が当たり前に生活する、それがこの国のあり方なのではないでしょうか。最近のいろいろな出来事は、その事実が危うくなってきていることの前兆かも知れません。心配です。

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