「~Do my best~じゃ意味はない」と「図書室の君へ」の2作のMVを見ていて、何となく気づきました。乃木坂らしさとは乃木坂らしい人が乃木坂らしい世界の実現へ向けて努力する姿そのものではないかと。
ここで用いた「乃木坂らしい」というのは個別には定義できず、乃木坂を構成するそれぞれの人たちが頭の中に思い浮かべているものです。だから正確には乃木坂らしさの定義にはなっていません。しかし目指す姿は微妙に異なったとしても、乃木坂としての活動の中でお互いに影響を与え合い、何らかの方向性を共有し合い、自分の考えを修正している間に、言葉では表現できなくてもやがて方向性は一致し、「乃木坂らしい」姿は具象化して行くのではないでしょうか。でも、ここには大きな課題があります。それは、乃木坂のこれからの余命が長くなければこのようなムーブメントは成立しないはずです。だから私たちから見た乃木坂には「続く」ということが必須であり、この継続性あるいは存続性や持続可能性をサポートするものそれ自体が乃木坂らしさの一要素として感じられるのではないでしょうか。
私はこれまでの乃木坂を見て来て気になることがいくつかあります。まず最大の問題は卒業商法の手法が執られた実績があることです。もう一つはリソースが極端に特定のメンバーに集中していることです。後者の手法は人気が定着しなかった初期乃木坂にとっては必要だったかもしれません。しかし、現在の芸能界で確立した「乃木坂」というブランドには名前自体に価値があります。すなわち、乃木坂の誰それということで仕事ができる可能性が高いということです。だからリソースの過度の集中は必要なく、むしろ集中によるメンバーの疲弊は、極端に言えば死を連想させるものです。他方の卒業商法も同じく死のイメージがあります。ここで例示した二つのことだけでなく、その他にもおそらく死に関連する活動があるように思います。
多くの新規ファンには乃木坂の永続性のことは念頭にないでしょう。他人の評価に隷属的である彼らには、常に流行を追いかけて行けば人生の目的は実現されるのでしょう。だから乃木坂ファンになっても乃木坂の永続性を仮定せずに、その時に最も認められているメンバーのことだけを見ていて、いやむしろその他のメンバーに活躍の場を与えることは自分が注目しているメンバーがその仕事を行わないということを意味するので、そのような采配を否定し攻撃するという行動に走りやすい傾向があるように思います。
新規が増えることは商業上は大切なことでも、リスクもまた大きくなるということです。老舗がメディアに採り上げられると多くの新規顧客が現れ、それに迎合するように商売の規模を大きくしてゆくと、結果として兵站が広がりすぎて自滅してしまうように。
日本の人口はこの先減少し、美味しい果実の量が増えることはないのですから、拡大ではなく縮小を念頭に戦略を構成する必要があります。今の乃木坂にその概念があるのか、私は非常に否定的な印象を持っています。メンバーには責任はありません。乃木坂が乃木坂らしくあるためにはメンバーの努力が必要ですが、その努力が有効に機能するかどうかはどのように商売をしていくのかという采配を行っている人間の力量にかかっています。
必要なことは兵站を広げすぎないこと、そして顧客を選ぶということです。
戦線が拡大する前に大量の人員を採用してしまったために研究生として何年も実戦投入されなかった2期生の悲劇を繰り返さないように、また一部の反社会的なファンではなく、本当の意味で乃木坂にシンパシーを感じているファン、言い換えると乃木坂への忠誠心が高いファンを優良顧客として大切に扱っていくことが求められているように感じます。
今この時この状態だからこそ必要ではないでしょうか。
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ここで用いた「乃木坂らしい」というのは個別には定義できず、乃木坂を構成するそれぞれの人たちが頭の中に思い浮かべているものです。だから正確には乃木坂らしさの定義にはなっていません。しかし目指す姿は微妙に異なったとしても、乃木坂としての活動の中でお互いに影響を与え合い、何らかの方向性を共有し合い、自分の考えを修正している間に、言葉では表現できなくてもやがて方向性は一致し、「乃木坂らしい」姿は具象化して行くのではないでしょうか。でも、ここには大きな課題があります。それは、乃木坂のこれからの余命が長くなければこのようなムーブメントは成立しないはずです。だから私たちから見た乃木坂には「続く」ということが必須であり、この継続性あるいは存続性や持続可能性をサポートするものそれ自体が乃木坂らしさの一要素として感じられるのではないでしょうか。
私はこれまでの乃木坂を見て来て気になることがいくつかあります。まず最大の問題は卒業商法の手法が執られた実績があることです。もう一つはリソースが極端に特定のメンバーに集中していることです。後者の手法は人気が定着しなかった初期乃木坂にとっては必要だったかもしれません。しかし、現在の芸能界で確立した「乃木坂」というブランドには名前自体に価値があります。すなわち、乃木坂の誰それということで仕事ができる可能性が高いということです。だからリソースの過度の集中は必要なく、むしろ集中によるメンバーの疲弊は、極端に言えば死を連想させるものです。他方の卒業商法も同じく死のイメージがあります。ここで例示した二つのことだけでなく、その他にもおそらく死に関連する活動があるように思います。
多くの新規ファンには乃木坂の永続性のことは念頭にないでしょう。他人の評価に隷属的である彼らには、常に流行を追いかけて行けば人生の目的は実現されるのでしょう。だから乃木坂ファンになっても乃木坂の永続性を仮定せずに、その時に最も認められているメンバーのことだけを見ていて、いやむしろその他のメンバーに活躍の場を与えることは自分が注目しているメンバーがその仕事を行わないということを意味するので、そのような采配を否定し攻撃するという行動に走りやすい傾向があるように思います。
新規が増えることは商業上は大切なことでも、リスクもまた大きくなるということです。老舗がメディアに採り上げられると多くの新規顧客が現れ、それに迎合するように商売の規模を大きくしてゆくと、結果として兵站が広がりすぎて自滅してしまうように。
日本の人口はこの先減少し、美味しい果実の量が増えることはないのですから、拡大ではなく縮小を念頭に戦略を構成する必要があります。今の乃木坂にその概念があるのか、私は非常に否定的な印象を持っています。メンバーには責任はありません。乃木坂が乃木坂らしくあるためにはメンバーの努力が必要ですが、その努力が有効に機能するかどうかはどのように商売をしていくのかという采配を行っている人間の力量にかかっています。
必要なことは兵站を広げすぎないこと、そして顧客を選ぶということです。
戦線が拡大する前に大量の人員を採用してしまったために研究生として何年も実戦投入されなかった2期生の悲劇を繰り返さないように、また一部の反社会的なファンではなく、本当の意味で乃木坂にシンパシーを感じているファン、言い換えると乃木坂への忠誠心が高いファンを優良顧客として大切に扱っていくことが求められているように感じます。
今この時この状態だからこそ必要ではないでしょうか。
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