栄枯盛衰

2020年9月2日 乃木坂46
もう最近は言われなくなっているので今更なのですが、乃木坂46は「AKB48を超える」ことを目標にして結成されたグループでした。とは言え、世間の大半はAKB関係の新グループという認識で、かくいう私もそのように理解していて、AKBを忌避していた私はその存在を無視するところから始まりました。
震災後1年だったか2年だったかのNHKの番組で初めて乃木坂46を見て、その瞬間から乃木坂46は私の関心度ナンバーワンに踊り出ました。調べてみると、乃木坂46はAKB48のアンチテーゼであり、よく言えば庶民的な、悪く言えばケバいAKB48に対し、フレンチポップ系のおしゃれな路線で売ることになっているのを知りました。ですから、乃木坂はAKBではなく、AKBの否定がすなわち乃木坂であるという関係なり位置にいたわけです。
現在、AKBは存在しているようですが、世間的にはほとんど影響力を持っていない状態にあり(私の個人的な認識です)、一方、超えたかどうかは別にして乃木坂の存在感は一定のレベルに達していると考えられます。
テーゼに対するアンチテーゼはテーゼが存在しなくなった場合、同時に存在の意味を失うものなのでしょうか。私は、そんなことを今の乃木坂に薄っすらと感じています。
まあ端的に言って、茶髪人口密度が上がって、もはやAKBそのものではないのかということを感じているだけです。長々と講釈を垂れて申し訳ありませんでした。ただ、茶髪にするのは残念だなあと。AKBと同じ運命になるのは嫌だなあと。むしろ現在のAKBの方が元祖乃木坂的立場にいるのかなあと。
ここまで書いて少し不安になったので、Wikiのヘーゲルの辺りを調べようとすると寄付をしろという塗り壁が出て見られないので、下の方の説明を読んでいると、エンゲルの自然弁証法では唯物論的弁証法の具体的な原則として「量から質への転化、ないしその逆の転化」「対立物の相互浸透(統一)」「否定の否定」があるらしい。(完全に受け売りのコピペです)
まあ確かに質から量へ転化して、対立物と類似化して、最後は自己否定してきたのが乃木坂の歴史ですから論理としては遠くはないのかもしれません。(笑)

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