アイドルの卒業を人間の死に例えるのは不謹慎というよりももはや許されない行為なのかもしれませんが、乃木坂という窓を通して見ることができなくなるという意味では乃木坂の箱を(も)推しているファンには卒業と死はそれ程離れた概念ではないような気もします。それを断った上で不謹慎を続けます。
人が亡くなったときは弔辞というのがあって、その人の生前の努力や善行や功績が称えられます。最近、メンバーの書いてくれるブログには弔辞部分が含まれることが多く、その記述を読んで、私は知らなかったけれどこんなふうにグループに貢献していたのかやメンバーの心の支えになっていたのかを新たに知ることになるのです。それによって惜しい人をなくしたことに気づき、同時にその人の冥福を祈ることになるのですが、当然死亡ではなく卒業なので、その人の今後の将来の幸いを祈る訳です。
こうして、ファンとしては自分の中に存在する推しに対する執着心を昇華させていって、すなわち自分の中で成仏させることによって、生前とその後の心の均衡を回復することになるのでしょう。
四十九日というのは確かに一つの半減期とも言えるもので、執着心も指数関数的に減少していくのでしょう。自分の大切な人を失ったときでも四十九日であるならば、仮想死亡の卒業の半減期は何日なのでしょうか。過去の経験から言うと、卒業メンバーの無念や諦観の大きさがその半減期に影響するように感じられます。その意味で弔辞の効果はもしかすると半減期を少なくする方向に働くのかもしれません。
3週間近く早く梅雨入りし、心も晴れぬままにそんなことをつらつら考えていました。みなさんはどうですか。
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人が亡くなったときは弔辞というのがあって、その人の生前の努力や善行や功績が称えられます。最近、メンバーの書いてくれるブログには弔辞部分が含まれることが多く、その記述を読んで、私は知らなかったけれどこんなふうにグループに貢献していたのかやメンバーの心の支えになっていたのかを新たに知ることになるのです。それによって惜しい人をなくしたことに気づき、同時にその人の冥福を祈ることになるのですが、当然死亡ではなく卒業なので、その人の今後の将来の幸いを祈る訳です。
こうして、ファンとしては自分の中に存在する推しに対する執着心を昇華させていって、すなわち自分の中で成仏させることによって、生前とその後の心の均衡を回復することになるのでしょう。
四十九日というのは確かに一つの半減期とも言えるもので、執着心も指数関数的に減少していくのでしょう。自分の大切な人を失ったときでも四十九日であるならば、仮想死亡の卒業の半減期は何日なのでしょうか。過去の経験から言うと、卒業メンバーの無念や諦観の大きさがその半減期に影響するように感じられます。その意味で弔辞の効果はもしかすると半減期を少なくする方向に働くのかもしれません。
3週間近く早く梅雨入りし、心も晴れぬままにそんなことをつらつら考えていました。みなさんはどうですか。
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