読みました。都合で二日に分けて読みましたが、二日併せて2時間もかからずに読了することができました。一回読んだだけですのでもしかすると読み切れていないかもしれないことを断った上で感想を書きます。ネタバレにはならないとは思いますが、これから読もうと考えておられる方は念のために以下はパスして頂きますと幸いです。
まず、内容を通して意外だと感じたところは一点だけ。彼女が乃木坂に入った直後から不調になっていたことです。そんなことは初期の彼女からはまったく感じることはできませんでした。彼女が乃木坂を辞めて、私たちが知る術を失った時期の彼女の状態を除けば、乃木坂在籍中のことについては乃木坂の活動やブログを通してほとんどすべてファンが知っていたことが彼女の目線で書かれているばかりです。
さて、彼女は彼女ではない「ひめたん」を演じ、最終的にはその「ひめたん」の重圧に耐え切れなくなって辞めたというようにも一見読めるのですが、実際のところ彼女が認めてもらいたいのは自分であってひめたんではなかった上に、ひめたんですら十分に認めてもらえなかったという二重の精神的な挫折が彼女を乃木坂の現場から遠ざけたということのように思います。
しかし、私たちファンは「ひめたん」を通して実物の中元日芽香さんを見ていたのであって、ひめたんがあろうがなかろうが日芽香さんに変わりはないという応援の仕方をしていたはずです。ひめたんは確かに日芽香さんの創造物です。しかしファンがそのひめたんを応援し、認めることで日芽香さんのことを応援していたのだと思います。その意味で日芽香さんだけでなくファンもおそらくメンバーも「ひめたん」という仮想の存在を楽しんで育てていたのではないでしょうか。きゅんきゅん王国やひめきゅんという、これもまた仮想的な設定を楽しむことで乃木坂の日芽香さんを盛り上げていたのでしょう。
だから彼女が行き詰ってなし崩し的に王国を解散したときには、ファン目線では一緒に作り上げてきた大切なものを一瞬にしてなかったことにされたという意味でショックを受けました。病気だから仕方ないとファンはわかっていたはずですが、そのことで彼女は自分を否定するばかりではなく、ひめたん(そして実物の日芽香さん)を応援していたファンそのものも否定してしまったため、私たちの失望は大きかったと思います。それでも私たちファンは、必ずしもすべてが順風満帆ではなかった日芽香さんと自分を重ね合わせて、必然的に彼女を愛していたために彼女の卒業後もひめたんや日芽香さんを忘れられないのです。
本の最後に書かれている彼女が適応できなかった乃木坂を最終的に見ることができるようになった事実は、既に認められる必要がなくなった乃木坂という存在を、彼女が客観的に感じることができるようになったのだと思います。ただ、彼女が回復していく過程で考え方も変化し、こだわりが減少したということが書かれているので、それを信じるならば彼女にとってよい方向に進んでいるのですから、元ファンとしてもそれを喜ばねばならないはずです。
彼女が最後に残したインタビューの中で、彼女にとって乃木坂とはという質問に答えられなかったことを私は思い出して、それがこの本に書かれていることとほとんど符合するので、これは事実そのままに近いことを感じます。こころは記述することとは相性があまりよくないので、文章化されたものがすべて真実ということはなく、それはある意味で周辺分布の一部であるとしても、彼女が要約する彼女のこころの軌跡を読むことによって、釈迦の解脱を記述した経典を読むのと同じ境地に達することができるのではないでしょうか。
その意味では、同時期に彼女を見ていた真実のファンはこの本を読む必要は必ずしもないと断言します。むしろ彼女を知らなくて現在悩んでいる方にとってこそ彼女を身近に感じやすいということで意味がある本だと思います。その観点からは、もう少し病気の解説が詳しくても良かったのではないかと感じる次第です。

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