ひたすら卒業をこなしていった消化試合であったと思います。
陳列棚には一応商品は並んでいるが、店全体としての活気がなくて、やがては閉店のお知らせが貼られていたという未来が予想されます。新製品の5期生が間もなく陳列され、一時的な賑わいはあるでしょうけれど、所詮は熱意が感じられないお店の行方の大勢は変えようがありません。
メンバー、ファンともに、それは同じ状態でしょう。私が考えていた永続する乃木坂というものはやはり存在できずに、姿かたちを変えても乃木坂46の存在感は先細りになってしまう運命だったように思います。
客商売なのにお客へのアピールがないのでは、魅力を感じろと言う方が無理でしょう。日本の大企業が現在軒並み他国に劣後しているのは、グローバリゼーションという環境の中で、企業全体として成長する意思と意欲を失ったためであるように、乃木坂46という大企業が「努力・感謝・笑顔」という個人の内面的頑張りだけではもはや特殊な一部以外の一般の顧客のニーズにマッチしなくなったということではないでしょうか。
最近ネットで日本には戦略がないという記事を見ました。乃木坂はコロナ以前から目の前の利益最大化のために将来の成長余力を蓄えておくことをしませんでした。まさに長期的戦略の欠如が当然の帰結を生んだということなのでしょう。いや、短期的利益最大化こそが、乃木坂運営の戦略だったという言い方もあるのかもしれません。
2期生が研究生として出発して1期生・2期生の集合体としての乃木坂の成長に失敗し、3期生、4期生の期別猛プッシュによりさらにメンバー内の分断を生み、5期生ではまた研究生(研修生)制度の復活が予告されています。厳格な身分制度によりグループとファンの分断を促進し、幸福の格差を増幅していった結果が今の姿なのだと思います。
メンバーはそれぞれに美しく優秀だけれど、そして個別にその姿を見る範囲では楽しい気持ちにさせてくれはしますが、分断された部分要素の寄せ集めである乃木坂全体を見ることや、乃木坂世界の劣後認定メンバーを見るのはもはや痛々しくて耐えられないというのが今の私の率直な感想です。本当の意味での「傍ら痛い(かたはらいたいと書いてかたわらいたいと読む。傍(そば)で見ていてはらはらすること)」グループになってしまいました。
今後の趨勢は変わらないとは思いますが、もしかするとという可能性もゼロではないので、あまり大きな期待をせずに2022年を待ちたいと思います。

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