蘭世さんのブログ来た
2019年4月14日 乃木坂46なんとなくテンションが高いのを少し抑えているような、いつもなら飛び跳ねるような文章なのに今日は高さを揃えた文章にしているような、そんな感じがしています。
今夜遅くというか明日の未明に23rdシングルの選抜発表があることが分かっているこの瞬間にそんなブログを書いてくれる蘭世さんの気持ちがどのようなものかいろいろ考えながら読んでしまいました。「この期間」という言葉が用いられているのも何か意味があるんだろうなと。
彼女がホグワーツ魔法魔術学校へ行くなら組分帽子は順当にグリフィンドールを選ぶかもしれませんが、私なら彼女の優しさの心を重要視してハッフルパフを選ぶような気がします。
(3326)
今夜遅くというか明日の未明に23rdシングルの選抜発表があることが分かっているこの瞬間にそんなブログを書いてくれる蘭世さんの気持ちがどのようなものかいろいろ考えながら読んでしまいました。「この期間」という言葉が用いられているのも何か意味があるんだろうなと。
彼女がホグワーツ魔法魔術学校へ行くなら組分帽子は順当にグリフィンドールを選ぶかもしれませんが、私なら彼女の優しさの心を重要視してハッフルパフを選ぶような気がします。
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山下美月さんの23rd活動縮小のブログが上がってから、この記事を書いている時点で24時間以上が経っていますが、運営からの発表がありません。
書かないのか、書けないのかそのあたりの事情が分かりません。欅坂のねるさんのときもそうだったように、タイムマシンを使用するのかもしれません。
4月10日にほぼ3ヶ月ぶりとなるブログを書かせ、翌11日には電影少女の番宣をさせ、その翌々日に例のブログが突然発表されたあたり、運営側がいろいろぎくしゃくしているのではないかと感じない方が無理というものです。
もしかして、運営側の人間の手が足りていないのに、仕事の受注だけはどんどん請け負ってきて(あるいはねじ込んで)、その仕事は特定のメンバーに集中して割り振るというようなことをしていないでしょうね。
新潟の某アイドルグループの再出発が、被害者の切捨てで解決を図ろうという、予想どおりだが人間として失格の会社の関係者がこちらも経営しているのですから、何でもありなのかもしれません。
(3320)
書かないのか、書けないのかそのあたりの事情が分かりません。欅坂のねるさんのときもそうだったように、タイムマシンを使用するのかもしれません。
4月10日にほぼ3ヶ月ぶりとなるブログを書かせ、翌11日には電影少女の番宣をさせ、その翌々日に例のブログが突然発表されたあたり、運営側がいろいろぎくしゃくしているのではないかと感じない方が無理というものです。
もしかして、運営側の人間の手が足りていないのに、仕事の受注だけはどんどん請け負ってきて(あるいはねじ込んで)、その仕事は特定のメンバーに集中して割り振るというようなことをしていないでしょうね。
新潟の某アイドルグループの再出発が、被害者の切捨てで解決を図ろうという、予想どおりだが人間として失格の会社の関係者がこちらも経営しているのですから、何でもありなのかもしれません。
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東京大学の入学式で上野千鶴子さんの祝辞があったようで、ネットで全文が公開されています。彼女の専門については社会学者という肩書き以外についてはよく知らないのですが、祝辞を読んで感じたことを2,3書きます。
まず「東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、ひかれるから、だそうです。」とありますが、私の知る限り、男性の学生も大学名を聞かれて東京大学と答える人をあまり見たことがありません。なぜなら特別視や批判の対象になり得るからです。理由の違いはあっても行為傾向には差はありません。
「東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。」。これは特別禁止する規則(お話によると警告は出ているようですが)も、そのようなサークルの存在を否定する理由もありません。このようなサークルはいわゆるジョイントサークルと呼ばれ、東大の男子学生が他大学の女子学生との交流を行おうとして企画・運営されているからです。ここには東京大学の女子学生が加入する意味も必要性もありません。男子学生に限るという掟がいけないとするならば、アイザック・アシモフの黒後家蜘蛛の会のようなものも好ましくないということになるのでしょうか。私的集まり(大学のサークルは学生の自主運営によって成り立っている)のルールが差別的と考えるのには、もう少し厳しい要件が必要ではないかと考えます。反例といえるかどうか自信はありませんが、東京大学の女子学生にしか参加資格がなく、学外のメンバーは他大学の男子学生のみというサークルが概念上は考えられる以上、平等な条件であると考えることができるのではないでしょうか。
「あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。(中略)あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。/恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」。これは常々私も考えていることです。これは男女かかわらず東京大学を卒業したすべての人々に課された社会的責務です。これには全面的に賛同します。
「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。/知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。/ようこそ、東京大学へ。」、についても全面的に賛同します。多くの人々にとってメタ知識の習得は難しくても、東京大学の学生には可能な人が多いと考えられます。これがあるからこそ東京大学の卒業生には社会的な期待がかかっていると言えるでしょう。
フェミニズムという観点からの分析のみが、東京大学入学生全員に共通した課題や目標であると考えることはできませんが、祝辞の中で提案されていることはある適度一般化できることだと思います。
私が東京大学の入学生に期待することは、リベラルアーツを十分に血肉として獲得し、それを前提に社会への貢献を目指して欲しいと言うことです。傑出した才能とバランス感覚の両方を備えたエリートとしての活躍を期待しています。
(3313)
まず「東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、ひかれるから、だそうです。」とありますが、私の知る限り、男性の学生も大学名を聞かれて東京大学と答える人をあまり見たことがありません。なぜなら特別視や批判の対象になり得るからです。理由の違いはあっても行為傾向には差はありません。
「東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。」。これは特別禁止する規則(お話によると警告は出ているようですが)も、そのようなサークルの存在を否定する理由もありません。このようなサークルはいわゆるジョイントサークルと呼ばれ、東大の男子学生が他大学の女子学生との交流を行おうとして企画・運営されているからです。ここには東京大学の女子学生が加入する意味も必要性もありません。男子学生に限るという掟がいけないとするならば、アイザック・アシモフの黒後家蜘蛛の会のようなものも好ましくないということになるのでしょうか。私的集まり(大学のサークルは学生の自主運営によって成り立っている)のルールが差別的と考えるのには、もう少し厳しい要件が必要ではないかと考えます。反例といえるかどうか自信はありませんが、東京大学の女子学生にしか参加資格がなく、学外のメンバーは他大学の男子学生のみというサークルが概念上は考えられる以上、平等な条件であると考えることができるのではないでしょうか。
「あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。(中略)あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。/恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」。これは常々私も考えていることです。これは男女かかわらず東京大学を卒業したすべての人々に課された社会的責務です。これには全面的に賛同します。
「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。/知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。/ようこそ、東京大学へ。」、についても全面的に賛同します。多くの人々にとってメタ知識の習得は難しくても、東京大学の学生には可能な人が多いと考えられます。これがあるからこそ東京大学の卒業生には社会的な期待がかかっていると言えるでしょう。
フェミニズムという観点からの分析のみが、東京大学入学生全員に共通した課題や目標であると考えることはできませんが、祝辞の中で提案されていることはある適度一般化できることだと思います。
私が東京大学の入学生に期待することは、リベラルアーツを十分に血肉として獲得し、それを前提に社会への貢献を目指して欲しいと言うことです。傑出した才能とバランス感覚の両方を備えたエリートとしての活躍を期待しています。
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だから忙しすぎると思っていたんです。
乃木坂運営はとにかくリソースの集中が極端過ぎるのです。人間を、そしてまだ若い女性を酷使し過ぎるからいつもこのようなリスクがあるのです。これまでの数年間は全体が忙しくなる中、更に忙しい人を何人も抱えていて、概ね無事だったのが奇跡的だっただけです。
美月さんにはゆっくり休養していただいて、次々作以降の復活を期待しています。お大事に。
(3311)
乃木坂運営はとにかくリソースの集中が極端過ぎるのです。人間を、そしてまだ若い女性を酷使し過ぎるからいつもこのようなリスクがあるのです。これまでの数年間は全体が忙しくなる中、更に忙しい人を何人も抱えていて、概ね無事だったのが奇跡的だっただけです。
美月さんにはゆっくり休養していただいて、次々作以降の復活を期待しています。お大事に。
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山下先生のブログが更新されているぜ
2019年4月10日 乃木坂46前回の更新が2018年12月29日でしたから3ヶ月以上の間、更新がありませんでした。忙しすぎて大丈夫なのかなと思ってからすでに相当期間が経っていましたので、半分程度美月さんのブログは読めないものと思い込んでいました。
以前の文体と何かが違うような、そして1枚目の写真が大人になっているような、思い過ごしかもしれませんがそんな気がしました。
「ナマコ食ったら-告ったら?」は名作です。
(3299)
以前の文体と何かが違うような、そして1枚目の写真が大人になっているような、思い過ごしかもしれませんがそんな気がしました。
「ナマコ食ったら-告ったら?」は名作です。
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TryAgainその後
2019年4月10日 その他のアーチストTrySailの最新アルバムTryAgainの記事を少し前に書きました。そして、1曲目のTryAgainの音量の分析の記事も書きました。それを踏まえてアルバム全体を何度も聴き直した感想を書きます。
1.TryAgain
完全に歌声が大音量の楽器に埋もれている。加えて歌声のリニアリティが相当程度失われているため絶望的に歌声を楽しむことができない。
2.WANTED GIRL
前半は歌声が聞こえるが、後半はギターの音がうるさすぎて、歌声が埋もれている。
3.Truth
ベースの音のように聞こえるが、これがビーンという響きを常に長引かせているので歌声に集中できない。また途中にモノラルで遠くから歌うように歌声を加工している部分があるがこれは意味がない。
4.Believe
これもベースの音がうるさすぎる。本物のベース(といっても電気的な音なのは同じだが)ならこれほど音の切れが悪すぎることがないので聴けるかもしれないが、この曲のベースには大きな濁りがある。歌声のリニアリティはそれなりに感じるのが救われる部分か。
5.Take a step forward
低音で弱くブーブー鳴っている効果音を含め雑味が多すぎる。音声のリニアリティは中程度。この曲はTrySailが歌う必要があるのかと思う。
6.未来キュレーション
あまり耳障りでないベースとドラムの音が中心であり、歌声のリニアリティもそれなりにあるのはいいところ。一瞬伴奏がなくなった瞬間でも何らかの音なのか振動なのか響いているものがあり、静寂から歌声が浮かび上がってくるという印象は感じられない。曲が優秀なのに残念なところ。
7.CODING
逆再生による効果音が大変に不快。4つ打ちか8つ打ちか分からないが、ドンドンというリズムを取る意味がわからない。歌声のリニアリティは高く、アレンジを変えれば優れた曲になる可能性が高いと思われる。
8.SUNSETカンフー
この曲の存在意義が分からない。要るのか、これ。何かのアニメの歌なのかも知れないが、これがあることでアルバムとしての統一感が損なわれている。個人的にはこの曲を飛ばせばよいだけだが、アルバム全体として最も残念な点。
9.散歩道
この曲は名曲だと思う。しかし、他の曲と同様に常に伴奏の楽器の余韻が途切れなく残っているので、美しい歌声を相当程度スポイルしている。2nd TourのBDで聞いたときはそれ程楽器の悪影響を感じなかったので、やはり音声と伴奏のレベルのミックスが適切でないのだろう。伴奏のレベルを下げればよくなるはず。
10.Make Me Happy?
この曲も名曲だと思う。強いドラムの音がもう少し弱ければバランスが良いのにと思う。この曲の歌声のリニアリティが不自然なのが不思議なところ。加工する必要があるのか。タイトルの?マークの必要性について私は疑念を持っている。なくてよいのでは。実現の可能性が低い願望の気持ちを含むなら、歌詞では Wish!! に続いているので、(I) wish you made me happy. あるいは絶対そうしてほしいなら (I) wish you to make me happy. ではいかが。ただ、後者だと命令口調になってしまう。まあ、Would you like to make me happy? か I am wondering if you could make me happy. なのかな。どうでもいいけれど。並列するように歌詞にある Won’t you make me happy? なんだとしたら Won’t you は省略できるのかなあ、どうだろう。
11.またね、
文章の終わりに「、」だとか名詞+「。」だとかはもう慣れた。静寂から歌声と楽器の音が浮き上がってくるという理想形には今一歩だが、各構成の前半のところはかなりそれに近く、歌声のリニアリティも高く好ましい。
12.azure
マイクロソフトのソフトウエアの名称が真っ先に思いつくのでそれを頭から振り払って聴くと名曲だと思う。この曲ももう少し伴奏の音量が小さければとは思うが、歌声のリニアリティが高くてよく聞き取れるので全体としては悪くない。
ということで、最終的に私のWalkmanからはCODINGとSUNSETカンフーは削除されました。
全体的にミキシングに不満がありますので、次作があるとしたら、十分試聴してから購入するかどうかを決定したいと思います。
(3299)
1.TryAgain
完全に歌声が大音量の楽器に埋もれている。加えて歌声のリニアリティが相当程度失われているため絶望的に歌声を楽しむことができない。
2.WANTED GIRL
前半は歌声が聞こえるが、後半はギターの音がうるさすぎて、歌声が埋もれている。
3.Truth
ベースの音のように聞こえるが、これがビーンという響きを常に長引かせているので歌声に集中できない。また途中にモノラルで遠くから歌うように歌声を加工している部分があるがこれは意味がない。
4.Believe
これもベースの音がうるさすぎる。本物のベース(といっても電気的な音なのは同じだが)ならこれほど音の切れが悪すぎることがないので聴けるかもしれないが、この曲のベースには大きな濁りがある。歌声のリニアリティはそれなりに感じるのが救われる部分か。
5.Take a step forward
低音で弱くブーブー鳴っている効果音を含め雑味が多すぎる。音声のリニアリティは中程度。この曲はTrySailが歌う必要があるのかと思う。
6.未来キュレーション
あまり耳障りでないベースとドラムの音が中心であり、歌声のリニアリティもそれなりにあるのはいいところ。一瞬伴奏がなくなった瞬間でも何らかの音なのか振動なのか響いているものがあり、静寂から歌声が浮かび上がってくるという印象は感じられない。曲が優秀なのに残念なところ。
7.CODING
逆再生による効果音が大変に不快。4つ打ちか8つ打ちか分からないが、ドンドンというリズムを取る意味がわからない。歌声のリニアリティは高く、アレンジを変えれば優れた曲になる可能性が高いと思われる。
8.SUNSETカンフー
この曲の存在意義が分からない。要るのか、これ。何かのアニメの歌なのかも知れないが、これがあることでアルバムとしての統一感が損なわれている。個人的にはこの曲を飛ばせばよいだけだが、アルバム全体として最も残念な点。
9.散歩道
この曲は名曲だと思う。しかし、他の曲と同様に常に伴奏の楽器の余韻が途切れなく残っているので、美しい歌声を相当程度スポイルしている。2nd TourのBDで聞いたときはそれ程楽器の悪影響を感じなかったので、やはり音声と伴奏のレベルのミックスが適切でないのだろう。伴奏のレベルを下げればよくなるはず。
10.Make Me Happy?
この曲も名曲だと思う。強いドラムの音がもう少し弱ければバランスが良いのにと思う。この曲の歌声のリニアリティが不自然なのが不思議なところ。加工する必要があるのか。タイトルの?マークの必要性について私は疑念を持っている。なくてよいのでは。実現の可能性が低い願望の気持ちを含むなら、歌詞では Wish!! に続いているので、(I) wish you made me happy. あるいは絶対そうしてほしいなら (I) wish you to make me happy. ではいかが。ただ、後者だと命令口調になってしまう。まあ、Would you like to make me happy? か I am wondering if you could make me happy. なのかな。どうでもいいけれど。並列するように歌詞にある Won’t you make me happy? なんだとしたら Won’t you は省略できるのかなあ、どうだろう。
11.またね、
文章の終わりに「、」だとか名詞+「。」だとかはもう慣れた。静寂から歌声と楽器の音が浮き上がってくるという理想形には今一歩だが、各構成の前半のところはかなりそれに近く、歌声のリニアリティも高く好ましい。
12.azure
マイクロソフトのソフトウエアの名称が真っ先に思いつくのでそれを頭から振り払って聴くと名曲だと思う。この曲ももう少し伴奏の音量が小さければとは思うが、歌声のリニアリティが高くてよく聞き取れるので全体としては悪くない。
ということで、最終的に私のWalkmanからはCODINGとSUNSETカンフーは削除されました。
全体的にミキシングに不満がありますので、次作があるとしたら、十分試聴してから購入するかどうかを決定したいと思います。
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みなさまこんにちは!!
2019年4月8日 乃木坂46梅澤美波さんのブログのこの出だしが好きでたまりません。
今日(2019年4月8日)は22:46の時点で生ちゃんと美波さんのブログだけが更新されています。生ちゃんのブログは乃木坂の話題がほとんどなく、私には無縁のミュージカルの話ばかりで正直なところ興味が湧かないので(笑)、今日のブログ更新が生ちゃんだけだと退屈だなと感じていたところ、救世主のように美波さんのブログが現れたので、狂喜乱舞というほどではないにしろじわっとありがたかったというところです。
このところ梅澤美波さんのことを何回も書いている気がするのは気のせいでしょうか。気のせいですね。きっと。
タイル構造の祝花の写真もあり、彼女らしい細やかな気配りが感じられます。特に3枚目の写真の横向きに座った姿が美しい。こういう姿を見ると日本人に生まれてよかったなと感じます。
与田さんの食べているところと寝顔を見たという自慢には、美波さんそこ代われ!というところでしょうか。私も現認者になりたかった。
どんどん落ちのない展開になって来ましたので、今日はおやすみなさい。
(この記事投稿後に確認したら、22:15付けででんちゃんのブログも更新されていました。)
(3287)
今日(2019年4月8日)は22:46の時点で生ちゃんと美波さんのブログだけが更新されています。生ちゃんのブログは乃木坂の話題がほとんどなく、私には無縁のミュージカルの話ばかりで正直なところ興味が湧かないので(笑)、今日のブログ更新が生ちゃんだけだと退屈だなと感じていたところ、救世主のように美波さんのブログが現れたので、狂喜乱舞というほどではないにしろじわっとありがたかったというところです。
このところ梅澤美波さんのことを何回も書いている気がするのは気のせいでしょうか。気のせいですね。きっと。
タイル構造の祝花の写真もあり、彼女らしい細やかな気配りが感じられます。特に3枚目の写真の横向きに座った姿が美しい。こういう姿を見ると日本人に生まれてよかったなと感じます。
与田さんの食べているところと寝顔を見たという自慢には、美波さんそこ代われ!というところでしょうか。私も現認者になりたかった。
どんどん落ちのない展開になって来ましたので、今日はおやすみなさい。
(この記事投稿後に確認したら、22:15付けででんちゃんのブログも更新されていました。)
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今はなきAKB48SHOWの別冊版である乃木坂46SHOWで少し前に放送された日常をこのところたびたび見ています。
曲全体を通じてセンターの日奈子さんの強い視線を感じながら、全員がきびきびと踊るところを見ていると、乃木坂でかつてこれほどの緊張感をもって歌われた曲があっただろうかと思わされます。
日奈子さんの体調が万全かどうかは私にはわからないながらも、前方をきっと見つめる日奈子さんの視線にはこの歌に対する本気度の強さを感じることができます。そしてその緊張感が日常の参加メンバーすべてにも漲っていて、日奈子さんの存在がこの日常を作っているのか、それとも参加メンバーの思いがこの日奈子さんを作っているのか、いやその両方かもしれないなどととめどなく思考がぐるぐるしてしまいます。
選抜のメンバーは確かに素晴らしいです。しかし、乃木坂46というグループは所属する(した)メンバーすべてのさまざまな努力や感情や希望や挫折ややさしさや厳しさによって形成されているということを私たちファンは忘れてはならないのではないかと思います。
ネットではこれまでの経緯を知らないファン(といっていいのか疑わしいのもいますが)がメンバーを悪しざまに書いているのを見ることがあります。そのような意見は少数派であっても声高に叫ばれるとそれが全体の意見であると簡単に錯覚し信じて同調してしまう多数派がいて、まるで全体主義のような麗しくない状況が生まれていると私には見えます。
日奈子さんを含む今回の日常参加メンバーはそんなことがまったくの間違いであると確かに教えてくれているように思えるのですが、そのような意見を聞くことはありません。日奈子さんの魂の叫びのようなこれまでの彼女のブログを読めば簡単に気づけることだと思います。一度彼女のブログを読み返してみてはいかがでしょうか。そして、彼女の復活のエクスプロージョンであるこの日常という歌を改めて眺めていただきたいと思います。
(3287)
曲全体を通じてセンターの日奈子さんの強い視線を感じながら、全員がきびきびと踊るところを見ていると、乃木坂でかつてこれほどの緊張感をもって歌われた曲があっただろうかと思わされます。
日奈子さんの体調が万全かどうかは私にはわからないながらも、前方をきっと見つめる日奈子さんの視線にはこの歌に対する本気度の強さを感じることができます。そしてその緊張感が日常の参加メンバーすべてにも漲っていて、日奈子さんの存在がこの日常を作っているのか、それとも参加メンバーの思いがこの日奈子さんを作っているのか、いやその両方かもしれないなどととめどなく思考がぐるぐるしてしまいます。
選抜のメンバーは確かに素晴らしいです。しかし、乃木坂46というグループは所属する(した)メンバーすべてのさまざまな努力や感情や希望や挫折ややさしさや厳しさによって形成されているということを私たちファンは忘れてはならないのではないかと思います。
ネットではこれまでの経緯を知らないファン(といっていいのか疑わしいのもいますが)がメンバーを悪しざまに書いているのを見ることがあります。そのような意見は少数派であっても声高に叫ばれるとそれが全体の意見であると簡単に錯覚し信じて同調してしまう多数派がいて、まるで全体主義のような麗しくない状況が生まれていると私には見えます。
日奈子さんを含む今回の日常参加メンバーはそんなことがまったくの間違いであると確かに教えてくれているように思えるのですが、そのような意見を聞くことはありません。日奈子さんの魂の叫びのようなこれまでの彼女のブログを読めば簡単に気づけることだと思います。一度彼女のブログを読み返してみてはいかがでしょうか。そして、彼女の復活のエクスプロージョンであるこの日常という歌を改めて眺めていただきたいと思います。
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乃木坂シングルリリース間隔表23rdまで
2019年4月7日 乃木坂46
既に発表済みですが、乃木坂46の23rdシングルの発売が2019年5月29日に決定しましたので、シングルリリース間隔表を仮に更新しました。どんな意味があるのかわかりませんが、19thいつか~20thシンクロの196日に並ぶ過去最長の間隔でのリリースとなるため、23rdで初めて平均リリース間隔が120日を越えました。全体的に徐々に間隔が開いていく傾向です。
(3280)
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Forever 9nine !
2019年4月7日 その他のアーチスト9nine(ナイン)は解散でなくて活動休止だそうです。
2月27日にこのブログに書いた記事は間違いでしたので修正します。
個人活動を通じて更に魅力的になった9nineの活動再開を待ちたいと思います。
(3277)
2月27日にこのブログに書いた記事は間違いでしたので修正します。
個人活動を通じて更に魅力的になった9nineの活動再開を待ちたいと思います。
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何かに誘われるようにパソコンを立ち上げたら
2019年4月3日 乃木坂46今日(2019年4月3日)はさゆさんと梅さんがブログを更新してくれました。
梅さんとみり愛さんの組合せが意外でちょっとびっくりしました。でもお二人は学年こそ違えど同じ1999年生まれなのですね。
さて、彼女はブログの中で次のように語っています。
「当たり前が当たり前でなくなる瞬間が/この世にいくつも存在することを/信じたくなくて必死にもがきます//寂しさはきっとずっと拭えないけど/先輩達が残してくださったものを/私たち後輩が受け継いでいって/乃木坂がずっとずっと愛されるグループであれるように/私達もなにかを残せる人であれるように/今は頑張るのみです。」
特に「ずっとずっと愛される」と「私達もなにかを残せる人であれるように」のところは胸にずしんと来ました。忙しい中でブログを更新してすてきな言葉を記してくれる梅澤美波さんにたくさん感謝しています。
一度パソコンの火を落としてから、再度確認のためにパソコンを立ち上げたらこんな幸せなことがありました。随時更新の乃木坂ブログは担当スタッフのみなさんも含めてほんとうにGood Job!ですね。
(3252)
(2019年4月27日追記)
美波さんの表現に「あれるように」が出てきますが、なぜ私には違和感があるのかと考えてみました。「ある」は五段活用の動詞で、可能を表す助動詞「れる・られる」は動詞の未然形に接続し、五段活用の動詞の場合は「れる」が用いられます。ということは「ある」の未然形「あら」+助動詞「れる」=「あら・れる」というのが「あることができる」という意味を表す表現になり、今回の「あ・れる」は正しくないことになってしまいます。ただ、以前このブログで書いたことがあるように思うのですが、例えば「走る」の可能形は「走られる」なのですが普通は「走れる」と可能動詞を用いますよね。一方で偉い人が走る場合に「走られる」というのはぎりぎり受け入れられる表現でしょうか。つまり尊敬を表す「れる・られる」は使われても、可能を表す場合には使われないことがあるということで、この美波さんの表現の「あれる」は「あ・れる」ではなくて、可能動詞の「あれる」なのでしょう。少ししっくり来たように感じます。違うのか?
梅さんとみり愛さんの組合せが意外でちょっとびっくりしました。でもお二人は学年こそ違えど同じ1999年生まれなのですね。
さて、彼女はブログの中で次のように語っています。
「当たり前が当たり前でなくなる瞬間が/この世にいくつも存在することを/信じたくなくて必死にもがきます//寂しさはきっとずっと拭えないけど/先輩達が残してくださったものを/私たち後輩が受け継いでいって/乃木坂がずっとずっと愛されるグループであれるように/私達もなにかを残せる人であれるように/今は頑張るのみです。」
特に「ずっとずっと愛される」と「私達もなにかを残せる人であれるように」のところは胸にずしんと来ました。忙しい中でブログを更新してすてきな言葉を記してくれる梅澤美波さんにたくさん感謝しています。
一度パソコンの火を落としてから、再度確認のためにパソコンを立ち上げたらこんな幸せなことがありました。随時更新の乃木坂ブログは担当スタッフのみなさんも含めてほんとうにGood Job!ですね。
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(2019年4月27日追記)
美波さんの表現に「あれるように」が出てきますが、なぜ私には違和感があるのかと考えてみました。「ある」は五段活用の動詞で、可能を表す助動詞「れる・られる」は動詞の未然形に接続し、五段活用の動詞の場合は「れる」が用いられます。ということは「ある」の未然形「あら」+助動詞「れる」=「あら・れる」というのが「あることができる」という意味を表す表現になり、今回の「あ・れる」は正しくないことになってしまいます。ただ、以前このブログで書いたことがあるように思うのですが、例えば「走る」の可能形は「走られる」なのですが普通は「走れる」と可能動詞を用いますよね。一方で偉い人が走る場合に「走られる」というのはぎりぎり受け入れられる表現でしょうか。つまり尊敬を表す「れる・られる」は使われても、可能を表す場合には使われないことがあるということで、この美波さんの表現の「あれる」は「あ・れる」ではなくて、可能動詞の「あれる」なのでしょう。少ししっくり来たように感じます。違うのか?
2019年の13日の金曜日は9月と12月に2回あります。しかし斉藤優里さんの13金企画は乃木坂46公式ブログでは見ることはできません。
ゆったんの卒業発表は前触れなくやって来たため、私はひどく面喰いました。かりんさんのは1年程度前からほのめかしがあったため、十分な心の準備ができていました。ゆったんの卒業は七瀬さんのと同じくらい予想外の出来事でした。
以前このブログで書いたと思うのですが、私は乃木坂46の心は伊藤万理華さんと、井上小百合さんと、斉藤優里さんでできていると考えていました。3人の内、既に2人が卒業済みと卒業予定であり、残るさゆさんも何となく最近の乃木坂本体とのかかわりの少なさからしてそういつまでもいてくれるものではないと感じていいます。
この3人すべてがいない乃木坂とは一体何なのでしょうか。もちろん残るメンバーが乃木坂にふさわしくないというようなことはまったく考えていません。私にとっての乃木坂のこころがこの3人だと私が勝手に感じているだけなのですが、近い将来、3人ともいない状態になったときに私は乃木坂に何を見ればいいのでしょうか。なぜそんなばかげたことを考えているのかと言うと、私にとって乃木坂のこころがなくなっても乃木坂という実体は存在し続けているだろうからです。
私のこの7年ほどの時間の多くは、中元日芽香さんという特別な人と乃木坂46という特別なグループと共にありました。ひめたんは既に概ね私の視界から外れてしまった状態になっていますが、彼女が所属した場所である乃木坂というグループは辛うじてこころの一部を保ったまま存在しています。それがすべて失われてしまうのも時間の問題となっている今、私は私のこころを静穏に保つためには何をすればいいのでしょうか。おそらく私は乃木坂という名前が彫られた墓石を建てればいいのだということは薄々感じています。それならそれはどこに建てるべきなのでしょうか。答えは簡単で、私のこころの中に建てればいいのです。
今、私は私のこころの中に建てるべき墓石とその場所を選定しているところです。それは4月13日にはおそらく間に合わなくて、9月13日か12月13日頃には目処が立つのではないかと感じています。
ゆったんが真冬に薄着で広場の中央にひとりで立っている白黒の映像を思い浮かべながら、その場所をこころの中に嵌め込む作業を着実に進めなければなりません。つらくはないですが容易でもない作業になるような予感がしています。
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ゆったんの卒業発表は前触れなくやって来たため、私はひどく面喰いました。かりんさんのは1年程度前からほのめかしがあったため、十分な心の準備ができていました。ゆったんの卒業は七瀬さんのと同じくらい予想外の出来事でした。
以前このブログで書いたと思うのですが、私は乃木坂46の心は伊藤万理華さんと、井上小百合さんと、斉藤優里さんでできていると考えていました。3人の内、既に2人が卒業済みと卒業予定であり、残るさゆさんも何となく最近の乃木坂本体とのかかわりの少なさからしてそういつまでもいてくれるものではないと感じていいます。
この3人すべてがいない乃木坂とは一体何なのでしょうか。もちろん残るメンバーが乃木坂にふさわしくないというようなことはまったく考えていません。私にとっての乃木坂のこころがこの3人だと私が勝手に感じているだけなのですが、近い将来、3人ともいない状態になったときに私は乃木坂に何を見ればいいのでしょうか。なぜそんなばかげたことを考えているのかと言うと、私にとって乃木坂のこころがなくなっても乃木坂という実体は存在し続けているだろうからです。
私のこの7年ほどの時間の多くは、中元日芽香さんという特別な人と乃木坂46という特別なグループと共にありました。ひめたんは既に概ね私の視界から外れてしまった状態になっていますが、彼女が所属した場所である乃木坂というグループは辛うじてこころの一部を保ったまま存在しています。それがすべて失われてしまうのも時間の問題となっている今、私は私のこころを静穏に保つためには何をすればいいのでしょうか。おそらく私は乃木坂という名前が彫られた墓石を建てればいいのだということは薄々感じています。それならそれはどこに建てるべきなのでしょうか。答えは簡単で、私のこころの中に建てればいいのです。
今、私は私のこころの中に建てるべき墓石とその場所を選定しているところです。それは4月13日にはおそらく間に合わなくて、9月13日か12月13日頃には目処が立つのではないかと感じています。
ゆったんが真冬に薄着で広場の中央にひとりで立っている白黒の映像を思い浮かべながら、その場所をこころの中に嵌め込む作業を着実に進めなければなりません。つらくはないですが容易でもない作業になるような予感がしています。
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マーガレット好きです
2019年3月30日 よしなしごと2018年3月18日に中元日芽香さんのブログが更新されていました。
当初の題名は確か「お花は好きですか」だっと思うのですが、今は「カウンセリング現場紹介」と、そのブログの本来の目的が直接的に分かるものに変更されています。私は家に植えられていたマーガレットがきれいに咲いていたので、母の勧めもあり学校に持っていったら先生が大変喜んでくれて、花瓶に活けてもらった記憶があります。小学生の高学年のころです。
今回のブログの最後が「部屋に観葉植物を置くことを母に勧められ、枯れにくい緑を置いてます。背の高い鉢に入れて。水やりは月2回でいいんだそう。」となっていて、若干の尻切れ蜻蛉のように感じなくもありません。
日芽香さんの心が平穏で断片化していないことを祈りながら、ちょっとだけ心配しておきます。
(3220)
当初の題名は確か「お花は好きですか」だっと思うのですが、今は「カウンセリング現場紹介」と、そのブログの本来の目的が直接的に分かるものに変更されています。私は家に植えられていたマーガレットがきれいに咲いていたので、母の勧めもあり学校に持っていったら先生が大変喜んでくれて、花瓶に活けてもらった記憶があります。小学生の高学年のころです。
今回のブログの最後が「部屋に観葉植物を置くことを母に勧められ、枯れにくい緑を置いてます。背の高い鉢に入れて。水やりは月2回でいいんだそう。」となっていて、若干の尻切れ蜻蛉のように感じなくもありません。
日芽香さんの心が平穏で断片化していないことを祈りながら、ちょっとだけ心配しておきます。
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花澤香菜さんのココベースについて少し前の記事で紹介しましたが、やはり前半部分がどうしてもしっくり来なくて、通勤時などに繰り返し聴いてすり込み作業をしてみましたが、努力の甲斐なくやはりちょっと違うという気持ちを捨てきれないことがわかりました。
従って、Walkmanからはマイ・ソングからミトンまでの6曲を削除することにしました。
残念ですが、当面はこれで行こうと思います。
(3212)
従って、Walkmanからはマイ・ソングからミトンまでの6曲を削除することにしました。
残念ですが、当面はこれで行こうと思います。
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お誕生日おめでとうございます。
まいみんは今でもまいまいの情報を把握しているのでしょうか。
まいまいの活躍を直接見聞きできるまいみんもきっと幸せにされていることでしょう。
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まいみんは今でもまいまいの情報を把握しているのでしょうか。
まいまいの活躍を直接見聞きできるまいみんもきっと幸せにされていることでしょう。
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以前の記事にTrySailの新しいアルバムTryAgainを購入したことを書きました。一部を除いていい曲なのですが、ステレオでこのアルバムを聴くと、普通のCDを聴いているボリュームのままスタートした瞬間、スピーカーが壊れるのではないかという程の大音量が出るのです。ボリュームをほとんどゼロのところまで絞らないと夜中には聴くことができない程です。
そこで、最初の曲TryAgainのWAVを解析してみました。この曲の初っ端の部分の波形をjpgで貼っておきますので適宜ご参照ください。上側がLチャンネルで下がRチャンネルです。それぞれのチャンネルの上下端は0dBで、CDに記録できるビットを全て使っている状態であり最大音量です。波形を拡大して見てみてもクリップが発生している様子はないのですが、小音量の部分がほとんどない波形になっています。これはきっと最近流行の「コンプレッサ」を用いて「音圧」を極限まで高めた処理を行っているものと思われます。もしかすると「マキシマイザー」も使用しているかもしれません。
そのせいなのか歌声が歪んだような印象を受けます。本来の声の伸びやかさがなく、何かの膜を通して聴いているような印象です。この曲以外ではTake a step forwardとMake Me Happy?で若干感じるもののそれ以外の曲ではそれ程強くこのような感じはありませんので、この曲のアレンジだけがその効果が極端に強いのかもしれません。
理論上は使われている方法とそのパラメータが分かれば量子化誤差を除いて原音に近いところまで復元できるはずですが、それが分からなければ復元することは不可能です。録音時には伴奏と歌は別々に録音しているはずなので、これ程極端な処理をするのであれば、伴奏と歌の原音ソースを別に提供してくれればこちら側で自分の好きなようにミキシングできるのですが、それは無理なことなのでしょうか。
最近の音楽鑑賞環境はほとんどスマホ+イヤホンなのでしょうか。そのどちらも音の繊細な響きを楽しむというよりは、音響的に劣っている部分をインパクトのある音作り(=加工)で補うことによりあたかも迫力があるように聴くという用途だと思われます。だから(CDに録音された)原音を忠実に再現するステレオセットではソース自体が歪んでいるのでそのまま歪んだ音に聞えてしまうのでしょう。残念ながらプリアンプのBASSとTREBLEの調整では原音に戻すことはできませんので、歪んだまま聴くしかありません。音の加工は再生装置側で行うように法律か何かで規定してもらえないものでしょうか。ついでに16bitを24bitに引き伸ばしたなんちゃってハイレゾは禁止という項目も付け加えていただけるとありがたいです。
(3175)
そこで、最初の曲TryAgainのWAVを解析してみました。この曲の初っ端の部分の波形をjpgで貼っておきますので適宜ご参照ください。上側がLチャンネルで下がRチャンネルです。それぞれのチャンネルの上下端は0dBで、CDに記録できるビットを全て使っている状態であり最大音量です。波形を拡大して見てみてもクリップが発生している様子はないのですが、小音量の部分がほとんどない波形になっています。これはきっと最近流行の「コンプレッサ」を用いて「音圧」を極限まで高めた処理を行っているものと思われます。もしかすると「マキシマイザー」も使用しているかもしれません。
そのせいなのか歌声が歪んだような印象を受けます。本来の声の伸びやかさがなく、何かの膜を通して聴いているような印象です。この曲以外ではTake a step forwardとMake Me Happy?で若干感じるもののそれ以外の曲ではそれ程強くこのような感じはありませんので、この曲のアレンジだけがその効果が極端に強いのかもしれません。
理論上は使われている方法とそのパラメータが分かれば量子化誤差を除いて原音に近いところまで復元できるはずですが、それが分からなければ復元することは不可能です。録音時には伴奏と歌は別々に録音しているはずなので、これ程極端な処理をするのであれば、伴奏と歌の原音ソースを別に提供してくれればこちら側で自分の好きなようにミキシングできるのですが、それは無理なことなのでしょうか。
最近の音楽鑑賞環境はほとんどスマホ+イヤホンなのでしょうか。そのどちらも音の繊細な響きを楽しむというよりは、音響的に劣っている部分をインパクトのある音作り(=加工)で補うことによりあたかも迫力があるように聴くという用途だと思われます。だから(CDに録音された)原音を忠実に再現するステレオセットではソース自体が歪んでいるのでそのまま歪んだ音に聞えてしまうのでしょう。残念ながらプリアンプのBASSとTREBLEの調整では原音に戻すことはできませんので、歪んだまま聴くしかありません。音の加工は再生装置側で行うように法律か何かで規定してもらえないものでしょうか。ついでに16bitを24bitに引き伸ばしたなんちゃってハイレゾは禁止という項目も付け加えていただけるとありがたいです。
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いろいろな意味で終わったようです。
2018年6月2日のこのブログの記事が現実のものとなったことも含めて。
<当該記事>
https://albireo.diarynote.jp/201806021703335739/
(3166)
2018年6月2日のこのブログの記事が現実のものとなったことも含めて。
<当該記事>
https://albireo.diarynote.jp/201806021703335739/
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今日(2019年3月21日)公表された報告書を読んでいると、責任範囲の明確でない運営会社と、メンバー個人の善良な判断に過度に期待している不明確な職務規律に基づく非常に危険で問題の多い事業であるということが明確に分かります。
対岸の火事ではなく此岸においても同じ事情であることは以前の記事に書いたとおり間違いなく、私たちが拘わり合うべき世界ではないと言えるでしょう。あたりまえのことについて何を今更と思われる方も多いでしょうが、一瞬ではあっても美しい世界を感じるときがなかったわけではありません。ただ、すべては胴元のためになされていることであり、飢え死にするアフリカの子供の数に比例して儲かるお隣の国出身の人のビジネスモデルと完全に相似形の事業がここにも存在していることは広く認識されているところではありますが、私のような凡人は改めて今それを確認しているという段階です。
それにしても、公務員などの公的な機関に勤める人よりも厳しい規律が業務外の私的生活においても求められる委託契約がこの世に存在するというのはまったく同意できません。私生活における活動と業務上の責任とは切り離して考える方が自然なような気がするのは私だけでしょうか。個人の無限責任にすべてを擦りつけることで解決する問題でしょうか。未成年のメンバーも多くいるのに。
納得しているわけではありません。
(3162)
対岸の火事ではなく此岸においても同じ事情であることは以前の記事に書いたとおり間違いなく、私たちが拘わり合うべき世界ではないと言えるでしょう。あたりまえのことについて何を今更と思われる方も多いでしょうが、一瞬ではあっても美しい世界を感じるときがなかったわけではありません。ただ、すべては胴元のためになされていることであり、飢え死にするアフリカの子供の数に比例して儲かるお隣の国出身の人のビジネスモデルと完全に相似形の事業がここにも存在していることは広く認識されているところではありますが、私のような凡人は改めて今それを確認しているという段階です。
それにしても、公務員などの公的な機関に勤める人よりも厳しい規律が業務外の私的生活においても求められる委託契約がこの世に存在するというのはまったく同意できません。私生活における活動と業務上の責任とは切り離して考える方が自然なような気がするのは私だけでしょうか。個人の無限責任にすべてを擦りつけることで解決する問題でしょうか。未成年のメンバーも多くいるのに。
納得しているわけではありません。
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