今日(2019年11月19日)のれなちさんのブログの内容も素敵でいいのですが、コメント欄が優良ファンで溢れているようです。
こんなに質の高いコメント欄は初めて見るように思います。れなちさんの人徳のなせる業ですかねえ。

(5029)

速報!

2019年11月18日 よしなしごと
ウォークマンNW-A55N買いました。
A100シリーズじゃないのかよという声が霰のように降り注いでくる予感がします。
あえて旧型にした理由は、
1.新型は電池持ちが悪い
2.新型は起動が遅い
の2点のみです。本当は表示される文字がいくらか大きい新型が欲しかったのですが、A840シリーズで電池持ちの悪いウォークマンにはこりごりした経験からA100シリーズはあり得ないという結論に達しました。だって、東京出張で新幹線で往復して、新幹線もより駅までの経路もウォークマンを聴いていると帰り着くまでにおそらく電池が切れるというのは許容できない仕様です。
スマホを毎日充電するのだけでもうんざりしているのに、ウォークマンも毎日充電というのは面倒くさ過ぎますのでね。ちなみに現在使用しているA10シリーズは、普段の通勤時電車での往復中と昼休みの休憩中に1日あたり約3時間使用して、週に1回の充電は必要ない(電池メモリが一つ減るか減らないか)超省電力仕様ですので、フル充電にするのを忘れて東京出張しても何の問題もないというのは大きな安心です。
アンドロイドウォークマンは次作以降に期待ということで。

(5022)

平成から令和に変わり、世の中はますます貧困と格差の問題が大きくなるように思います。また、合意なき決定に象徴される無意味なオリンピックの開催により、日本が不良資産を抱える程度は更に増大することが予想されます。大阪ではこれまた無意味な万博が予定されています。確実に破綻への道を正確に辿っていることは間違いありません。乃木坂がそうであるように、日本の社会もこれからは過去に見たような発展はあり得ないのですから、キリギリスの欲望を抑え、アリの倹約さを第一にすべき時が来ているようです。
そんな中で、日本の平均寿命は現在のところ延びており、高齢化がますます進むらしいですが、同じように今のところ生きている私も1年に一つずつ年を取るという至極当たり前の状況下にあります。どこかで読んだのですが、人間は二十歳位までに聞いた音楽の記憶の中から大きく逸脱する新しい音楽を聴くことはせず、特に三十三歳程度以降は全く新しい音楽を受け入れないようになるらしいです。
それらの事実に抗うように私は新規の音楽に貪欲でありたいといつも考えており、新しい世界を求めて日々ネットを彷徨っています。その時にやはり最後の最後で決定的なハードルとなるのは、購入するかどうかという点です。将来を考えると支出は抑えたい、しかし投資をしなければ発展はない。リスクとリターンの狭間で悶絶する日々を過ごしているのが最近の状況です。
さて、そんな中、一大決心をして夏川椎菜さんの新しいミニアルバムである「Ep01」を購入しました。音楽配信サイトであるmoraで試聴した限りにおいては、前作「ログライン」と同じかそれ以上のがしゃがしゃ系音楽に聴こえましたので、ああまた外れを引く可能性が高いなと思いながらもポチりました。その結果をここに記そうと考える次第です。
いつものように結論から言うと、少なくとも失敗ではない。むしろ期待以上であるという印象を持ちました。確かに5曲中の後半2曲「キタイダイ」と「ロジックルーパー」は元気のある曲ですが、楽器は音量は大きくても何故か柔らかな印象があり、確かに楽器の音量に埋もれてはいるものの椎菜さんの歌声は何とか聞き取れるレベルです。前半3曲「ワルモノウィル」「グルグルオブラート」「HIRAETH」はいくらか優しい曲調であって椎菜さんの声もよく聞こえます。いや音量レベルの問題は本質ではなく、この何だかよくわからない雑多な並びの中にも実は深い調和が隠されているような気がしてなりません。うまく説明できないのですが、明らかにそのような破綻のない一つの世界を感じました。
この感覚が単に贔屓目の誤りなのか、悟性から帰結される正解なのかは理性の世界に存在する私には判断できません。カントが言うところの「仮象」なのかもしれません。
あまりネットでの評判が出ていませんので、皆さんのご意見も拝聴したく思います。まあ、それによって私の判断が変わることは万が一にもあり得ないのですが。

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1枚と言いながら何枚かあります。

ザ・リリーズ 小さな恋のメロディー/ザ・リリーズの世界 1976年4月5日発売
・アイドルの理想像。

沢田聖子 青春の光と影 1981年4月25日発売
・「落葉の部屋」が素晴らしすぎて。思いつきに誘われてみたい…

あみん P.S.あなたへ… 1983年4月25日発売
・「待つわ」だけではない繊細すぎる魅力。

佐野量子 MODERATO 1987年4月21日発売
・彼女の魅力が完璧に表現されている。

南野陽子 SNOWFLAKES 1988年12月14日発売
・歌が上手いとか下手とかは関係ない。

伊藤つかさ ゴールデン☆ベスト 2004年11月25日発売
・歌手デビューは1981年。特に初期楽曲があああああ。

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きいブログ

2019年11月3日 乃木坂46
2019年11月1日の深夜に上がった北野日奈子さんのブログを称賛する意見がたくさん見られますが、私は読解力のある皆さんが羨ましい。
乃木坂加入からのすべての彼女のブログを読んできて、それなりに理解した気持ちになっていた私には、今回のブログは難解すぎて理解できないです。
むしろ彼女の精神状態が心配になっているので、誰か解説して!
欅坂の夏鈴さんのブログはネットの皆さんのおかげで完全に理解できました。皆さんの読解力はすごいですね。

(4913)

実は発売後すぐに購入していました。
時間がある時に少しずつ見ていたのですが、特に最初の部分がギター担当の人との距離が近く、何だか私の感覚では受け入れられないものでしたので、途中で見るのを止めていました。
だいたいからして、先行して発売されていたCD「ココベース」の前半が受け入れられなかった私ですから、このBDも同じ感覚であるのは当たり前でした。しかし安くはない代金を払ったのに一度も見ないというのも金を無駄にしたような気がしますので、我慢しながら何とか最後まで見ました。
結論から言うと、これはこれでいいのかもしれないというのが正直な感想です。花澤香菜さんももう若いとは言えないお歳になり、可愛さが訴求ポイントではないのはこちらとしても前提条件に入れて評価をしています。これは誰もが同じでしょう。そしてその状況でコンサートに出かけるファンは私が乃木坂46について語るときにいつも出て来る「コア」なファンであるだろうと思います。彼女とコアファンとの間の交流会の記録だと思えば、全体の緩い構成も、飾らない舞台のセットも、すべてがこのままの姿でいいのではないかと思えて来るのです。
私は彼女と彼女を取り巻く情勢について何の知識もないので、なぜこれまでプロデュースして来た北川勝利さんが外され、ぼろをまとった別の人になったのかが理解できていませんでした。ポスト渋谷系の「claire」、ギターポップの「25」、ニューヨークがテーマの「Blue Avenue」、イギリスがテーマの「Opportunity」と来て、どうして次が「ココベース」なのか。北川勝利ではだめなのか。ファンは何を求めているのか。理解できないことだらけでした。
しかし、今回のコンサートツアーファイナルの様子を見て、ああ、これは花澤香菜さん自身が好きなものを集めたんだな。ファンは好きなものを身の回りに纏って歌っている花澤香菜さんを見たいんだなと気づきました。私の入る余地はないのかもしれない。私こそがにわかだったんだと気づいたのです。だからこれはこれでいいのです。それだけのことでした。
迂闊だった私でした。

(4859)

最近「坂道グループ」という語を見ることが多くなったように思います。確か公式には「坂道シリーズ」という呼称が用いられていたはずです。ということで、以下に書くことは私の誤解か妄想である可能性を前提として読んでいただきたい。
「series」という単語を辞書で引くと「連続、連続試合、系」というのが第一に出てきます。一方「group」は「1.〔人や物の地理的に近い〕集まり、群れ 2.〔共通の利害を持つ人の〕集団、団体、派 3.〔歌手の〕グループ、ユニット」というのが最初の方に出てきます。
これらから類推するに、seriesはgroupの系と言えるように思います。すなわち、seiries=group1+group2+group3+…という形でしょうか。もっと具体的には坂道シリーズ=乃木坂46+欅坂46+(吉本坂46)+日向坂46であって、グループはそれぞれ乃木坂46、欅坂46、(吉本坂46)、日向坂46ということです。だから「坂道(シリーズ)合同オーディション」はあっても、「坂道グループ合同 研修生ツアー」は概念的に誤りであるという認識です。グループという用語を使用するのであれば、正しくは「坂道シリーズ各グループ合同」であるべきです。(全グループとしたいところですが、吉本坂の扱いが特殊であって、このようにしています。もっとも、私の考えの中に吉本坂というのは存在しないので、「全」でもいいのかもしれません。)
坂道がシリーズであるのは大きな意味があり、グループ間にはシリーズという関連性はあっても、お互いの独立性は保たれており、人事交流やメンバーのグループ間混成は(一時的な企画ものはあっても)恒久的な活動としては存在しないという前提を意味しているものと解釈しています。
しかし、このところ坂道グループというまるで一体化したような表現が用いられる背景には、坂道シリーズ(及び大所帯アイドルグループ)を支える需要規模の縮小があるのではないでしょうか。運営は生き残りのために、事業規模縮小の方法論としてグループの合併によるリストラを企図しているように思います。
事業規模縮小は現時点のマーケットを前提とすると判断としては正しく思いますが、このような多様性の喪失を伴うリストラはファンとしては希望しないところであり、結局のところコアファンの離脱により廃業という結末に向かうのではないかと心配されます。
いつもファンの期待を裏切る運営のすることですから、何があっても驚きはしませんが、悲しむことはきっとあるだろうと思います。

(4845)


3に関する断想

2019年10月24日 乃木坂46
まだ左手が自由に使えなくてキーボードを軽快に打つということができませんのでブログもさぼり勝ちになっています。
さて、このところ何故か私に3期生ブームが来ておりまして、未来の答え、トキトキメキメキ、平行線のMVを無限ループしています。1期生、2期生のブログでの発信がほとんどなくなり、3期生ももちろん少ないのですが、時々ブログが上がると1期生、2期生のそれより幸福感が大きいのは何故なのでしょうか。3期選抜未経験メンバーをぜひ選抜に入れてほしいと希望する毎日です。
話の脈絡がなくてあれですが、最新のりりあんブログの最後の「今日はなーし。残念!!」は最近では最も笑わせてもらいました。やるな、りりあん!
明日も午前の通勤時間帯は雨予報です。乃木坂3期生の神通力で、私が徒歩で通勤している時間帯だけでも雨を止ませることができるといいなあ。

(4833)

伊藤寧々さんのご卒業から今日で5年ですね。
卒業を知った私の驚きは何となく今でも覚えています。一目乃木坂在籍中の寧々さんを見てみたくて、初めて乃木坂46の全国握手会にあわてて参戦したのが私の握手会デビューでした。
現在twitterやInstagramで見る寧々さんはその当時といい意味で全く変わっておられず、私も時々覗きに行っては元気なお姿を確認してほっとするのが習慣になっています。
でも今日のInstagramによると、発信内容は意識的にポジティブなものに限定して行っていたとのこと。どおりでいつも幸せな気分になることができたんですね。
このブログもそんな風にしなければ。
今後のねねころに幸多からんことを。

(4788)

文章スタイル

2019年10月19日 乃木坂46
娑婆に戻って来ました。いやあ、いつもの生活というのがどれ程ありがたいのか身に染みて感じました。
さて、10月17日の早川聖来さんのブログを読んでいて気付いたのですが、内容はともかく、文章のスタイルが私のそれと似ていませんか。例えば改行や読点(「、」ですね)が少ないところです。かわいいお嬢さんと理屈っぽいおじさんではその文章の価値は比較になりませんが(もちろん「お嬢さん」>「おじさん」です)、まあ似ているということに意味があるのかもしれません。興味や集中力が続くのはどれだけ過去に感動したかということにかかっているらしいですから、何にせよ私の心にインパクトを与えたということで私の聖来さんへの興味は持続することになるかもしれません。(もちろんストーカーではありませんし、なりません)
それにしても、乃木坂の皆さんは美人さん揃いですねえ。今回のセラミュのブログで改めて感じました。

(4784)

ちょっと行ってきます。
スマートフォンは使えますが、ブログを書くのはパソコンでなければ不自由なので、しばらくブログはお休みになりそうです。
では、今週末にここでまた会いましょう。

(4753)

ラグビーワールドカップ予選で日本代表がスットコもといスコットランドに勝利しました。前半早いうちに1トライでも先制できれば十分と思っていたのに、望外の力強さを見せてくれました。選手とそれを応援してくれたみなさんありがとう。

(4743)

今回の台風は私の住む地域は少し進路から離れていたために大きな被害はありませんでした。一方、直撃を受けた関東・甲信越、東北では大きな被害が出て、現在もなお多くの方が被災状態にあるようで、一日も早い復旧と今後の作業の安全を祈るばかりです。
さて、この台風による停電を報じた記事がYahooニュースにあり、フジテレビの放送内容を誰かが文字に起こしたものが紹介されています。その一部を研究のために引用します。()内に数字を書いたものは私が説明のために挿入したものですが、それ以外は改行(空行)も含めてそのまま引用しています。

「(1)東京電力のウェブサイトでは、東京電力管内だけでも、午後1時30分現在、停電軒数は15万7,300軒という表示がされている。

(2)赤くなっている場所が停電が多い場所だが、くわしく見ていくと千葉県。

(3)千葉県では、現在9万3,700軒が停電をしている。

(4)南房総市が赤くなっているという状況。

(5)一番停電が多い場所になる。」

この前後にも文章があります。その文章全体を読んでもよく意味がわからないのですが、この部分が最も特徴的なのでこれについて考察します。
まず(1)のパラグラフでは東京電力のウェブサイトを引用しているのに、東京電力以外の情報があるように読める書き方になっており、読者は混乱します。基本的に各電力会社のサイトには自社が管轄する電力系統の停電情報しかなく、他社系統は当該電力会社のウェブサイトに掲載されています。
(2)のパラグラフはその後に存在する(4)と(5)のことを話そうとしているようですがその間にパラグラフ(3)があり、千葉県全体の停電件数を説明しようとしているのかと読者を錯覚させます。読者は我慢しながら読み進めていくと、最後まで読んだ段階で千葉県を更に細分化した区域について、どこの停電が多いのかを説明しようとしていたのだと分かるという仕組みになっています。
なぜこのようなトリッキーな文章構成にするのか、一文毎にパラグラフを分ける必要がどこにあるのか、あまつさえそのパラグラフ間に空白行を設ける必要があるのか、読者は多いに悩んで、結局のところこの文章を読んで時間を無駄にしたことに気づき、非常に残念な気持ちになるのです。
本来なら、「東京電力のウェブサイトの情報によると、東京電力管内では午後1時30分現在、15万7,300軒が停電している。特に千葉県では、現在9万3,700軒が停電しており、管内でも特に停電が集中している。更に詳しくその内訳を見ると、南房総市の停電が非常に多いということが分かる。」と書く(話す)べきなのでしょう。言い回しとしてはもう少し日本語らしくできるように感じますが、原文をなるべく活かすと上記のような文章になりそうです。
記者が日本語ネイティブではないかもしれませんので一概に非難するのは誤りかもしれません。ただ、文章にする段階でより日本語らしく、そして何より情報が正確に伝わるように工夫できたはずです。日本語を取り巻く文化はもう取返しのつかない状況まで来ているように感じます。

(4740)

先ほどあがった岩本蓮加さんのブログにも書かれていますが、座長として初めて臨むアンダーライブ開始にあたって、「ライブが終わった時の感想が、可愛かったなぁで終わって欲しくない」と発言されたそうです。
これは結構本質的であるように感じます。アンダーライブのあり方だけでなく、グループ全体を通してこのようでありたいという彼女の希望なのかもしれません。私がこのブログで何度も指摘しているように、どのようになりたいか、どのようでありたいかを言葉にするのはとても勇気が必要かもしれませんが、それは非常に重要なことです。
アンダーライブに関しては、伊藤万理華さんが「アンダーライブの概念をぶっ潰す」と宣言されたのが記憶に残っています。言葉は覚えていないのですが、寺田蘭世さんも座長を務められたときにアンダーライブに関して何らかの発言をされていたように記憶しています。
乃木坂のメンバーが乃木坂の方向性について言及することは滅多にありません。それは意図的に止められているのか、自律的に発言しないのか、発言する勇気がないのかのいずれかの理由かもしれません。しかし、結果として何も言わなければ、ファンからすれば何も考えていないのと同じです。
日本の社会あるいは会社では、このような発言は組織的にはあまり好まれないのかもしれません。卑近な例では、私が勤めている会社は今存亡の危機に瀕していますが、その原因は何も主張しない、何も決定しない、何も反対しないひとが選ばれて経営者になっているからです。
組織の構成メンバーが自らの組織の将来を考え、今何をすべきかを常に発言しなければ、お互いに何を考えているのかが伝わらないはずです。コミュニケーションには共感し合うという機能もあるかもしれませんが、私は主張し合って凸凹の存在を確認し合い自らを修正するという機能の方がむしろ重要なのではないかと考えています。
その観点から、今回のれんたんの発言は、彼女が3期生初のアンダーライブ座長であり、3期生最年少(4期生まで入れても2番目の年少)であることを考慮しなくても大変に立派な態度だと思うのです。
クソガキ感のあるれんたんも懐かしいけれど、次世代を担う人物はやはりこうでなくてはなあと感じられたのはとても嬉しいことでした。

(4738)

境界線

2019年10月11日 乃木坂46
中元日芽香さんのブログが更新されました。
詳しくは直接読んでいただきたいのですが、彼女が現役アイドルであった頃、ファンが彼女のブログに綴られた様々な事柄を見て感じていた気持ちは、今の彼女の立ち位置と同じ視点なのではないかと思います。実際にはファンはブログにコメントするくらいしかできないけれど、彼女の気持ちを察して、少しでも寄り添いたいという衝動がファンの側にもあったように感じます。
今の乃木坂のブログは報告が中心で、あまり皆さんの本当のお気持ちが表現されることはないように思います。それは彼女たちの忙しさやブログという新規獲得ツールが必要ない状況がそうさせるということもあるでしょうが、ブログに書いたすべての内容について中傷や攻撃の材料になる可能性があるということが彼女たちのブログでの表現を躊躇させているという面もあるのではないでしょうか。
中元日芽香さんが書いておられるように、カウンセラーとしてはその境界線の中で仕事をすべきなのであり、同じようにファンも自分たちの境界線の中でファン活動をすべきだと痛感します。インターネットは普通の人が使っている限りでは決して匿名ではありません。あたかも自分は安全地帯から遊んでいるような感覚で、現実社会では一般的に許されない行動をしているひとが少なくないのではないでしょうか。
インターネットは公共の場であり、街中と同じです。そこで大声で誰かを誹謗中傷していたら、確実に捕まります。それと同じことだと気づくことが、そして彼らにも仲間がいるのなら気づかせてあげることが必要だと感じます。
中元日芽香さんのブログとは関係ない方向へ議論が進んでしまいましたが、仕事相手のことを考えるという姿勢は、アイドルからカウンセラーに転身された現在も脈々と続いている彼女の素敵な人間性だと感じました。

(4738)

今久しぶりに「走り出す瞬間」を聞いています。
特に初期の歌が素晴らしすぎて、あの苦しかった時代を思い出してしまいます。
最近の歌ももちろんいいのですが、初期のあのやさしいしあわせ感はひときわわかりやすくて心の奥まで染み渡るようです。
こうして聞いてみると、佐々木美玲さんが「イマニミテイロ」でセンターに選ばれた必然を感じます。「わずかな光」の独唱でも彼女の透明度100%の美しい心が見えるように感じます。
また1期2期のミクスチャーも自然に進行して断絶のない好ましいグループであることが手に取るようにわかります。前シングル(2nd)のユニットの素晴らしさや、最新シングルでソロ曲が与えられ、3期もその人の能力に合った活動の場が用意されるなど、漢字欅や乃木坂とは少し方法論が異なるのがほぼ同じ組織の指揮下にあるのに不思議な気がします。
何かの取材で彼女は辞めることを考えたことがあると言われていましたが、みーぱんが今ここにいて私たちは幸せです。

(4708)

17歳のお誕生日おめでとうございます。
そして私も〇〇歳のお誕生日おめでとう。ありがとう。
奇跡的に一年間生きて来ました。楽しいことも多かったけれど、苦しいことや悲しいことの方が多かったかもしれません。でも人生なんてそんなものですね。
りりあんの17歳の一年は楽しいことに溢れますように。

新幹線は現在熱海を通過中。

(4708)

さゆさんの卒業の発表がありましたが、それ以前から1期生が減ったよなあと感じていましたので、期別にどのような構成になっているのかを調べてみました。その結果は、

期-現人数/加入時人数-期別残留比-期別構成比(現人数による)
1期生ー11/34-*32%-26%
2期生ー*9/14-*64%-21%
3期生ー12/12-100%-28%
4期生ー11/11-100%-26%
(期別構成比は小数点以下四捨五入の関係で合計は100%にならない)

上記の数字にはさゆさんとおそらくこれからも続くであろう卒業予定者は現人数として勘定しています。
入って間もない4期生が100%残留しているのは不思議はないのですが、3期生に卒業者がいないのは少し驚くべきことです。1期生は1/3、2期生は2/3になり、数字だけから見ると2期生が最小勢力になっています。
このところの卒業発表の不自然さを考えると、卒業予定者のキューはかなり長くなっているようですから、大物の卒業の前後にぱらぱらとその他のメンバーの卒業があるのでしょう。まったく失礼な話だと思いますが、それが商業上の最適解と運営が考えているものと思われます。
4期生は体調や進学の問題以外(いや最近ではストーカーの存在も関係するかも)ではしばらく乃木坂のメンバーとして留まってくれそうですが、3期生以上はもういつ誰が卒業しても不思議ではないように思います。こういう感覚が心の底から楽しめない要因の一つなのかもしれません。
今回のさゆさんの卒業に関しては「、」というタイトルのブログで休業が発表され、「。」で卒業の発表がありました。「、」は何となく変だなあとは思っていましたが、このような意味があるのがわかったのは「。」が現れてからですから、私も抜けているとしか言いようがありません。
最近ブログが上がると一瞬緊張するという書き込みを見たことがあります。確かに滅多に更新されない乃木坂のブログの数少ない更新は、卒業の発表である確率が非常に高いと言わざるを得ません。
何だかなあという気持ちです。

(4691)


もうすぐ憂鬱なハロウィンの時期がやって来ます。
渋谷他のバカ騒ぎを見ていると、この国全体がバカになっているようでとても悲しいです。でも最近私は、将来への不安が蔓延しているこの国において、このような一見何の意味もないバカ騒ぎがひょっとしたら巧妙に仕組まれた何らかの政治的意図を持っているのではないかと訝るようになって来ています。要は刹那的に生きることで将来の貧困や苦悩を考えなくさせることなのではないかということです。
消費増税も貧富の格差を拡大させるために行われていることであり、その証拠に大企業によって組織されているどこかの団体が、10%はおろか、より高率の消費税増税を主張しているようです。
坂道関係のお嬢さん方も、ややもすれば例年このバカ騒ぎを助長していると考えられるような活動をされていますが、少し薄ら寒い感じがしないでもありません。

(4687)

先ほどブログで卒業が発表されました。
今後もご活躍をと願う以外に特に感想はないのですが、以前のブログ(例えばhttps://albireo.diarynote.jp/201907192359448791/https://albireo.diarynote.jp/201904152216396510/)にも書いたように、なぜこのタイミングの発表なのかというのが気になって仕方ありません。要は順番と優先度の違いがあって、それぞれが干渉しないようにスケジューリングされているということなのでしょうか。
また、過去のブログ(https://albireo.diarynote.jp/201710062003097685/)にも書いたように、乃木坂46の心は伊藤万理華さんと斉藤優里さんと井上小百合さんでできていると考えている私としては、乃木坂46の真の姿は見られなくなるのだという意味でとても残念です。
まだ、活動最終日は明らかにされていませんが、休業→卒業という流れですから、次作25thに参加は不自然なように感じます。卒業セレモニーはあってもいいと思いますが、卒業記念選抜はあってはならないと漠然と感じています。

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