修行をしていました。(インドは嘘)
ご無沙汰しております。
修行とは、
(1)少し硬い台の上で4時間、全身を動かさない状態でいる
(2)その後引き続きベッドの上で6時間腕以外は動かさない状態でいる
(3)半日ほど置いて、またベッドの上で3時間腕以外は動かさないでいる
の3種の内容から構成されていました。実はこんなことをすると修行場所に行ったときに初めて知りました。拒否権は私にはないので修行するのみでした。
特に(2)のときはただ寝転んでいるだけなのですが、腰の部分がベルトのようなもので固定されており、少し背中を浮かせた形になっているため、常に背中が緊張状態になっていて大変辛いものでした。男の子なんだから(ジェンダー差別用語らしいが構わず使用する)ちょっと我慢しろよと自分に言い聞かせていたものの、5時間を過ぎたあたりでもうどうにも我慢ができなくなり少し背中を持ち上げた状態にしてもらいました。それで半分くらいは楽になったものの終始背中に汗をかき続けていました。
このような極限の緊張状態の中でも実はウォークマンを聴くことができましたので様々な曲を聴いてみましたが、いつも聴いているアイドル系は乃木坂を含めて全滅で、唯一聞けたのがベートーベンの5番、7番シンフォニーとバッハ全般でした。
考えてみればアイドル系にしろポップス系にしろ、自ら興奮したいがために聴いているのであって、極限状態の中での癒しになり得るのは昔から評価され続けているクラシックなのだなと改めてその価値に気づきました。
ちなみに人の顔を思い浮かべることを(1)の途中に行ってみましたが、過去何十人のメンバーがいたはずの乃木坂で浮かんで来たのはなぜか若月さんとまいまいだけという不思議な組合せでした。私にとっては大変意外なことでした。
この数日は人生の中でも屈指の大変な経験をした期間でした。
数年内には恐らく同じ修行を行わなければならないのでちょっと憂鬱です。それまでの期間は元気な状態であれば乃木活に励みたいと思います。だからせめてそれまではなくなるなよ。

(1755)

ジコチューで行こう!の「行こう」は「ゆこう」なのですね。
音楽の日のジコチューはTV初披露の割にはオリジナルメンバーだけではないのがちょっと意外でした。それでも全体的に夏曲らしい構成で、あしゅセンターの曲としては私は嫌いではありません。
ただ、乃木坂らしいかと言われると少しうーんと唸るところで、AKB関連のどこかのグループでもしっくり来そうな感じもしないではありません。そこがちょっと弱いかな。今誰のシーソーが強すぎた影響が今になって現れて来ている可能性もあります。
ただ、あしゅ、美波さん、絢音さんの縦一列は強い存在感があります。これが新しい乃木坂のはじまりか、かもしれません。

(1700)


まず何より単独で出演できたことが喜ばしい。
深夜帯ですので録画でしょうが、揃ったダンスと全体的に引きの絵により、けやき坂の集団としての美しさは強く感じました。
一方、私は軍隊のように揃ったダンスには余り興味がなく、個々人の様子をよく見たいと思っていましたが、その気持ちを否定するように、メンバーが前かがみになっていたり、激しく動くために髪が顔にかかって表情が読み取れないシーンが多用されていました。
今回の振り付けがTAKAHIRO先生なのかどうか私には定かではありませんが、漢字の振り付けに似ているのでKEYAKIはこのタイプの見せ方で行くという方針なのでしょう。
ファン以外のいわゆる一般人からすれば、漢字のメンバーですらおそらくセンター以外を個体識別できる人はそれほどは多くないと思われるのに、増して知名度の低いひらがなでは、一体誰が踊っているのか分からない状態になってしまうのではと思います。
また、何回も言いますがハッピーオーラの定義とはどのようなものなのでしょうか。私の認識とは少し、いや大いにずれているようですので、明文化や具象化された定義があればぜひ知りたいところです。
きっと48グループやさらにその他のアイドルグループとの差別化は必要なのでしょう。また、美しさをアピールするなら乃木坂という高い壁もあるのでしょう。そのせめぎ合いの狭間で落ち着くところが漢字でありその関連グループとしてのひらがなの立ち位置なのかもしれません。ニッチと言うのが適当ではないにしても、ブルーオーシャンというわけでもない気がするのは私の勘違いでしょうか。
間もなく新しいシングルの情報が出るはずです。そこに一層の期待がかかるところです。

(1700)

がなファンのみなさん、漢字との共同パフォーマンスの機会は見送るというのはいかがですか。
ひらがなだけの方が楽しくないですか。
せめてアンコール1曲くらいと最後の挨拶には参加させた方が平和じゃないですか。
不思議です。

(1675)

与田さん...

2018年7月19日 乃木坂46
与田祐希さんのブログが夜遅くに更新されました。
実は与田さんは精神的に非常に強い人なのかと思っていました。何の根拠もなくそんな風に考えていました。でも、実際に彼女にとっては若い後輩メンバーとして今の立場にいきなり抜擢されているのは、大変なことですよね。想像すらできなかった自分を真剣に反省しています。
偉そうにこのブログで薀蓄を垂れたりしていますが、この齢になっても人の気持ちが理解できていないところは子供だった私から全く成長できていない気がしています。
今回、今日のブログを拝見して、彼女にとても興味を持ちました。もう少し勉強してみようと思っています。もっとも最近は加齢に伴い、自分の気持ちも十分に制御できていない状況になりつつありますから、加齢による能力低下と学習による能力向上が足し引きでプラスになるのか甚だ心許ない状況ではあります。
思わずコメント投稿しようとした気持ちをぐっと抑えて、このブログで呟いておきます。

(1670)

ネットを見ていたら、琴子さんがツインテールをしなかったのは、美月さんの要求がひど過ぎたからというようなことを言っている人がいるようですが、それはどうなんでしょうか。
ちなみに琴子さんがツインテールをしたことがないと思っているなら、2014年3月4日の研究生ブログが琴子さんの番だったので、とりあえずそれを見てください。そこにツインテールの琴子さんがいるはずです。4年以上前ですけどね。

それはそうと、本日(2018年7月19日)の山下美月さんのブログに、「実はこの時蜂がブンブン飛んでいました/私にも友達ができました」とあるのですが、蜂と友達の関係が私にはわかりません。誰か教えて!
美月さんの今回のブログは短いけれど、以前のようなテンポのよさがある文章でした。美月さんらしくていいですね。

(1670)

今日も平和

2018年7月17日 乃木坂46
みり愛さんの頭頂部がかわいいことを発見しましたので、みなさんに報告します!畏れながら「後頭部」は映っていないと存じます。
今日(2018年7月17日)はのぎおび⊿の当番は渡辺みり愛さんでした。40分くらい遅れて始まり、45分間くらい配信してくれました。
みり愛さんが笑っているとこちらも笑顔になるのが本当に不思議です。楽屋の配置がみり愛さん、きいちゃん、まあやさん、みなみさんの4人だったらしいですね。確かに平和な組み合わせです。
乃木坂はみなさんそうなんですが、笑顔になっているときが最高に美しいですね。にこやかに過ごすことの重要性を教えてくれているように思います。私も気を付けなければ。
世の中の情勢は、自然を含む生活環境がとてもいいとは言えない状況ですが、せめて心だけは安らかでいなければと感じます。難しいですけれど。

(1658)

不安感MAX!

2018年7月17日 けやき坂46
某グループの長沢菜々香さんの今日(2018年7月17日)のブログが、何故か初めての生誕祭の写真2枚であり、「おだペーに挟まれてる!」と「ずっとみんなで誕生日をお祝いできたらいいな」と書かれているのですが、普通にこれを読むと織田さん渡辺梨加さん菜々香さんのいずれかがその内いなくなるというようにしか思えません。もし卒業でないとすれば漢字ひらがなの一部入れ替えがあるということなのでしょうか。
ひらがなファンとしてはちょっと冷静になれないところです。

(1655)

現在のぎおび⊿のShowroomに佐々木琴子さんが出ているのを見ています。
よくしゃべる!季刊乃木坂のメイキングビデオのときの元気な琴子さんを思い出しました。まちゅ(松村沙友理さん)が琴子さんの代わりにツインテールをしていて、宿題の代理ってOKなのかと、大きな発見をしたような気分になりました。また山下美月さんがこれまた代理で明日のみり愛さんへの課題をボードに書くというのも新鮮で、この元気で陽気な琴子さんが新しい乃木坂を作ってくれるのではないかと感じています。
と書いていたら、30分で配信が終了してしまいました。20分以上開始予定時刻から遅れて始まったのに、あっという間に終了してしまい、こんなところも何だか琴子さんらしいですね。だいたい幕張メッセの第3ホールで一人で配信しているのもシュールですし、当然ツインテールの琴子さんを期待していたのに巧妙に期待を裏切ったり、コンタクトを入れていないのでコメントが読めないことを理由に一つもコメントを拾わなかったあたりが新時代の到来を感じさせます。
琴子さんが朗らかだと日本は平和!という思いを新たにしました。

(1643)

先ほど15日22:00付けで大園桃子さんのブログがアップされました。
桃子さんはこんな文章を書く人だったのか、実はよくわからないのですが、そんなことはどうでもよくて、少し休養が必要なのではないかと感じました。
以前、ブログ更新の少なさについて「大物は云々」などと中傷めいた書き方をしたことを反省しています。今日はもう遅い(16日0:15頃にこれを書いています)ので、明日の朝できるだけ早く、当該部分を削除します。
桃子さんとそのファンのみなさまには大変申し訳ありませんでした。

(1621)

今日になって初めて見ました。
ひらがな、漢字、乃木坂アンダーの順で番組が構成されていました。
絢音さん座長のアンダーライブは素晴らしいのですが、ひらがなの今まさにぐんぐん成長している姿に比べると、三期生のフレッシュさを加えてもやはり熱量の差を感じてしまいました。一部分だけを取り出した映像では全体像やその場の雰囲気までは分からないので、円盤化されるといいのですが、これまでの実績から判断するとそれは可能性ゼロであると断言できるところが残念です。
漢字についてはいいとか悪いとかではなく、好きか嫌いかで言うならば後者に近いと思います。少なくとも私が求めているものとは違うということは確かです。彼女たちのことはもう信者のみなさまに任せておくことにします。
21stシングルでUnderexitを果たした絢音さんと蓮加さんが中心に採り上げられているのはこの世界の話ですから仕方ないのかもしれません。でも歌のシーンでもそのお二人と三期生以外にはfocusがあたっていないのは少し残念でした。
ひらがなからのレポーターが芽実さんとみーぱんでした。このお二人のセンター属性はこの番組でも感じることができました。敵を作らずすべてを包み込んで幸せに変える力こそがハッピーオーラなのですね。
ときどき見ることができるライブ前の円陣の掛け声が、ひらがなはいつも丁寧なのが私の好きなところです。乃木坂や漢字は早口過ぎて何を言っているのかわからないレベルになっていますし、放送で見た漢字のものでは声を出していないメンバーがいるのも少々気になりました。
このところまるで粗探しをするために番組を見ているようになっていることについては、自分でも反省しています。もう少し受容的な態度で観賞すべきなのかもしれません。しかし信者にはなれそうもありませんので、やはり研究者の目線になるのは避けられない運命なのでしょう。
少し前の記事でも書きましたが、この番組に関しては完全に放送のビットレートが不足しています。細部が潰れてしまってのっぺりした残念な絵になっています。ネットに不正にアップロードされた映像を見ているような気分になるのも、批判的になってしまう傾向を助長しているのかもしれません。強制的に料金を徴収する仕組みになっている特殊法人であり、この法人の放送周波数に同調するチューナーとそれを表示するシステムを持っているだけで支払いは義務になってしまうのですから、これまでよりも品質を落としたら料金は下げるべきです。私たちに選択の自由はありません。BS導入のときにどのように説明していたのかもはや正確には覚えていませんが、「高画質」と一度でも宣伝したのであれば、料金値下げもまた義務であると考えます。

(1621)

とあるまとめサイトの情報によると、ひらがな推しで宮田愛萌さんが古典文学の代表として源氏物語を題材に授業をされたそうです。源氏物語のテーマが何であると考えるかは読者それぞれだろうと思いますが、源氏とその子孫を取り巻く様々な人間模様について、恋愛を軸に考えるよりは、人と人の間に存在する多様な障壁の描写に注目する方が理解が深まると思います。それは死別や身分の差や世間体や社会的勢力争いや、場合によっては単なる思い違いであったりするところが現在の私たちにとっても身近な問題として真実味をもって感じられるのです。千年以上の時を経て源氏物語が今でも愛読され続けているのは、紫式部(ちなみに作者は一人ではないとする説が有力です)が人間の根源的問題の描写にとりわけ優れていたからだと思います。単なる恋愛小説ならばいくらでもありますし、古来より研究の対象になっていることを考えても、源氏物語が百千の物語群に埋もれてしまわなかったということを恋愛だけで説明するのは難しいと思います。
さて駄弁を弄するのはこのくらいにしておいて、愛萌さんのひらがな配役と私の乃木坂配役を比べてみたいと思います。

登場人物ーひらがなー乃木坂(2017年9月21日版)

藤壺ー佐々木美鈴ー井上小百合
桐壺更衣ー東村芽依ー西野七瀬
葵の上ー高本彩花ー鈴木絢音
紫の上ー景山優佳ー齋藤飛鳥
明石の上ー小阪菜緒ー市來玲奈
花散里ー潮紗理菜ー深川麻衣
夕顔ー河田陽菜ー能條愛未
空蝉ー松田好花ー山﨑怜奈
朧月夜ー加藤史帆ー寺田蘭世

光源氏ー齊藤京子ー(なし)
頭中将ー井口眞緒ー(なし)

なかなか興味深いですね。愛萌さんの源氏物語の読み方と私のそれには少し違いがあるようです。もっとも私の配役は、登場人物が誰に似ているかではなく、この人にこの役を演じてもらいたいという考え方で選んでいますので、違って当然かもしれません。しかし花散里や朧月夜あたりは結局のところ、確かにこの登場人物にはこの人しか充てられないなと言う意味で一致しているのだと思います。ただ一点気になるところは空蝉が奥ゆかしいという見方には少し異論があって、身の程を弁えた身持ちが堅い女性であるのだと思います。晩年には源氏の庇護を受けて暮らしていることからも、源氏に対する想いが無かった訳ではないのではと感じます。
源氏中心ということならば、女三の宮は外して欲しくないところです。ひらがなでは高瀬愛奈さんでしょうか。私が乃木坂メンバーから選んだのは渡辺みり愛さんです。いずれも現在の私の一推しなところがちょっとあれですが。

(1601)


中田花奈さんの一つ前のブログ(2018年7月11日)にコメントしたのですが、24時間以上経っても出てこないので、弾かれたものと思われます。
書いた内容は、
(1)ライブのセトリと感想がないのは花奈さんらしくない。
(2)文章がいつもの花奈さんのものと少し選ばれる言葉が異なる。
(3)疲れているはずなので気を付けてください。
という趣旨のものでした。(1)か(2)がだめだったのでしょうか。ちょっとだけ書きながら弾かれるかもしれないと思っていました。
ちなみに今日は今年2回目の13金です。今のところ斉藤優里さんからのメッセージはありません。もう彼女にとって13金は過去のものであり、今更取り立てて何かを行うということはないのでしょうか。21thシングルでは選抜入りしていることもあり、何か動きがあるのかもしれません。
私たち一ファンにはそのあたりの事情は全くわかりません。
乃木坂1期生にとって、ブログの価値はなくなりつつあるのかと感じる今日この頃です。
今日は鈴木絢音さんの素晴らしいブログについて書きたかったのですが、やや後ろ向きな思考が多い最近の私らしい内容になってしまいました。
最近何故か急に閲覧数が多くなっています。閲覧者の方のご期待に応えられる内容はしばらく書けそうにありませんので、数日に一回くらい開いていただければ十分かと存じます。

(1574)

このところ乃木坂とひらがなけやきばかりを見ています。
それぞれを見ているとお互いに似ているように思いますが、見比べてみるとひらがなけやきのダンスには切れがあり、乃木坂のダンスにはたおやかさがあるように感じます。どちらかというと私は乃木坂のダンスの方が好きなようです。ただ、漢字を忌避する気持ちがひらがなけやきにひっかかりを作り、それとは別に長く見続けてきた乃木坂は贔屓目に見てしまうということがあるのかもしれません。
王道アイドルはもはや売れないという説が主流なようですが、確かに人間というものの本質について探求するという訓練を受けないで、スマホの小さな画面だけが情報源の若者がアイドルに対して期待するものは、その瞬間に即インパクトを感じるような劇薬的魅力なのだとすると、漢字欅のような一種奇抜な新興宗教の出し物の如き踊りが有効なのでしょう。一方で昔から日本人に伝わる精神的な、どこか時間や距離や速さや加速度だけでは決まらない動きが美しいと感じる者の目には、乃木坂のダンスはそのまま美しいと映ります。どちらかが優れているというのではなく、誰が何を好むかというマーケット戦略の違いということに尽きるのではないでしょうか。だから、インフルエンサーがやれ欅のまねだとか、ひらがなが乃木坂の後継者だとかいうような意見が流布されるのは、マーケット戦略に基づく作品になっていない場合があるということかもしれません。
乃木坂46の6thバースデイライブが全曲披露を止めたという歴史的な出来事について、その意味が今後の乃木坂にどのように現れてくるのかが大変興味深いところです。ことバースデイライブについては、単なる誕生日祝いとは異なり、神前に供えるために厳しく手順が定められた踊りを奉納するという見方を私はずっとしてきたものですから。

(1527)

かなりん(中田花奈さん)センターだそうです。春のメロディーから随分経って、返り咲きというところでしょうか。
ところで曲調や歌詞の内容を全く知らないので想像で書いています。
三角といえば乃木坂(あるいは坂道シリーズ)の象徴です。今回の三角の空き地というのはどこにあるのでしょうか。
もしかするとそれはどこにもないということはないでしょうか。
アンダーセンターということでは、みり愛さんがセンターを務めたことで、選抜の権利が発生していますが、絢音さんに追い越された形になっています。むしろアンダー経験のない美波さんや、三期生曲センターではあるもののアンダーセンター経験のないれんたんが選抜ということで、これまでの法則が崩れています。
そんな中、21stのアンダーセンター曲が所在の明らかでない「三角の空き地」というものをどのように捉えていいのか見当もつきません。というのは嘘で、ある種の運営からのほのめかしや提案なのかもしれないと考えています。
今後注意深く見守っていきたいと思います。

(1510)

欅坂46の7thシングルが8月15日に発売されることが公表されました。詳しいことはわからないものの、ひらがなけやきがその中に含まれることはどうやら確実なようです。
ひらがなけやきの成功は漢字欅との分離により獲得されたものと感じています。漢字からひらがなへの真っ当なファンの移行はほぼ完了した状態なのに、ここでまた両者を混ぜ返す意味がわかりません。
もちろんひらがなの成功は漢字の人気をベースにしていることは承知しているつもりです。恩恵を被ったのだから漢字へもおこぼれをもたらせというのもあり得ない要求ではないと思います。
しかし、乃木坂46がもっと早く世代交代できたのに失敗したのは、人気が追いつかなかったから固定メンバーでファンの拡大を図る必要があったためだと思います。しかし、漢字は短期間で大いに売れ、存在感を失ったひらがなを分離することで、両者を成功させることができたのは間違いない事実です。それなのに、ここでまた両者を混在させるのは短期的には握手会参加券付きCDの販売数を増大させる効果はあっても、ひらがなの存在意義の不明確化による長期的損失の可能性を大きくするのではないでしょうか。
乃木坂46は数字の上では好調でも、変曲点に差し掛かっていることは間違いなく、今後はおそらく長期的(続くという前提では)に凋落していくものと思われます。ケヤキグループも同じ轍を踏むのではないかと心配しています。漢字はどうでもいいけれど、ひらがなにとってはいい話ではないように思います。
もっとも、もしこのCDでひらがなが漢字を凌駕する存在感を示して漢字を圧倒すれば、両者の関係に決定的な楔を打ち込むことができますので、7thの状況を見守って行きたいと思います。

(1498)

つぶやき

2018年7月3日 乃木坂46
私はなぜ新しい乃木坂46を期待しているのだろうか。
そんなものはもともと存在しないのではないだろうか。
最初からあったものがなくなる時、すべてはなくなるのではないだろうか。
部分的にしか取り替えないなら、なぜ多くの優秀な人材を宝の持ち腐れ状態にしてしまうのか。どうしてそれを3回も繰り返すのか。
もうどのように考えても心の底から楽しむことができないように感じる。
生まれたものには寿命があって、もうそれが予見可能な状態になっているのだろうか。

(1464)


 伊藤かりん 0.5
 和田まあや 0.5
 渡辺みり愛 0.5
 能條愛未  0.5
 伊藤純奈  1.0
 川後陽菜  1.0
 寺田蘭世  1.0
 北野日奈子 1.0
 久保史緒里 1.0
 山﨑怜奈  1.0
 佐藤楓   1.5
 吉田綾乃クリスティー 1.5
 樋口日奈  2.0
 向井葉月  2.0
 中村麗乃  2.0

 佐々木琴子 ?
 中田花奈  ?

(1458)

昨晩というか本日未明に乃木坂46の21stシングルの選抜発表がありました。
今、私が言いたいことは一つだけ。選抜に選ばれなかったのに、すぐにブログをアップした樋口日奈さんは立派だ。

(1455)

乃木坂の現場(握手会等)に出掛けなくなってからもう随分経つので、最近の私の研究材料はほぼブログに限られている状況です。
ご本人のブログそのものも重要な情報源ですが、ファンのコメントにはそれを補ういろいろな情報が含まれていると感じています。いつも全部を読むのは不可能ですので、時々一連のコメントを順番に眺めていくということを行っています。
アイドルとファンの関係については、もしそれぞれの特質を1つのリニアな指標で数値化できたとすれば、非常に高い相関がある場合と、そうでない場合があるのではないかと私は常々感じています。実際には指標化などできるはずもないのでこの仮説は検証不可能です。それでも敢えて私の仮説を説明すると、あるアイドルのブログを含む発信情報から推測されるある種の一途さ、例えば優しさ、頑張り屋、強い個性、チャレンジ精神、賢さなどの特質が明確な場合、それに共感するファンが集まってくると感じています。
ブログとコメントの研究において、本当の難しさは検証可能性ではなく、今回の久保史緒里さんの休業発表ブログのコメントを見れば明らかなように、彼女には年齢層に関わらず高いレベルの教養を持つファン層がついていることが分かりますが、普段のコメントにそれが現れているかというと、割合的にはそれ程ではないように思います。
すなわち、今回のように人を気遣うような難しいコメントを書ける人が常にコメントしているのではなく、そのようなファンに限ってむしろ普段は黙っているとしか考えようがありません。ですからコメントを拾っていてもそのデータがファンの母集団の推定に使用できるかという疑問には明確に否と答えられます。
これは恐らく握手会やコンサートの現場においても同様であり、可観測な情報からファン層の母集団の推定や変化の把握は不可能であるという結論になろうかと思います。
ただ、今回のような隠れたファン層が観測可能になる事例はときどき発生し、最近では北野日奈子さんが休業を発表した際のブログコメントでは、コメント者の年齢層の低さが顕著でした。確かそれに関してこのブログで何かを書いたような気がします。それに対して、久保史緒里さんの事例ではファンの年齢層の広さを感じさせます。きいちゃんとくぼしのファンの質の違いがもしこの推定のとおりならば、くぼしの場合は休業の長さに関わらず復帰の際のハードルは低く、きいちゃんの場合は高いことが予想されます。なぜなら一般的に若い人ほど刺激に対する応答が速く、それは時定数が短いということですから、熱量の減衰も速いことを意味します。対して、この件に関しては年齢層の高さや教養の程度は時定数の長さと比例すると思われ、とりもなおさずくぼしの復帰に長時間を要してもファンの熱量の変化はそれ程でもないと予想されるからです。
ひめたんの場合がどうだったのか、私は主観的になり過ぎて、客観的な解析ができていません。コメント欄にもひめたんの事例を書いている人がちらほらいましたが、おそらく私が言えることはくぼしとひめたんの状況が同じということはなく、ひめたんのケースは忘れて、久保史緒里さんの復帰を待つということがファンとしてのベターな対応ではないかと思います。

このようにつらつらと書いてきましたが、ある方が、「(前略)/元ひめたん推しです。/(中略)/私たちはひめたんが休んでる時もただひたすら祈るように待っていました。戻って来たときは嬉しかったけど、何か不安が付きまとっていました。早かったなと。/(後略)」とコメントされていました。私と同じことを感じていた人がいたということに大きな驚きを感じました。こと乃木坂に関しては客観的になりきれない私としては、上のお言葉は非常に身に沁みました。
久保史緒里さんが十分な休養と療養の上で万全の復帰ができますようにお祈りしております。

(1445)


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