皆さま、新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、年が明けた乃木坂のブログは今現在最年少のお二人のブログがアップされていて、そのいずれもが格調高くて美しくておめでたくて素晴らしいものでしたので、私は年初から感動しています。
いろいろな情勢は必ずしも楽観できない様相を呈しているようですが、少なくとも次世代を担う若い勢力に勢いがあるのは最大の朗報であると言うべきでしょう。
希望とは若者である、いや反対か、若者は希望であると再認識しました。私は身体年齢は若くはないですが精神年齢は十分若いので、微力ながら彼女たちと同じく希望の一部でありたいと誓った元旦でした。

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紅白見ました。
何故シンクロニシティなのかはわかったような気がします。合同パフォーマンスである必要性については頭がついていきませんでした。
ただ、とても美しかった。激動の2019年を締めくくる場として、そして締めくくるパフォーマンスとしては最高だったと思います。
2019年に、ここにいくつブログ記事を書いたのか数えていませんが、そのほとんどは乃木坂のメンバーに触発されて書いたものです。私の決して楽しいことばかりではない日常に常に潤いや刺激を与えてくれたのは彼女たちであることは間違いありません。乃木坂のみなさんありがとう。
そしてこの偏見に満ちたブログを辛抱強く読んでくださった読者の方々にも感謝しつつ、また今後も同様によろしくお願いしながら、連続する来年を迎えたいと思います。
よいお年を!

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今日(2019年12月30日)の秋元真夏さんと清宮レイさんのブログ、日向坂46の高本彩花さん、富田鈴花さんのブログ、そして内村光良さんのコメントを見て、三坂合同パフォーマンスに対するこだわりは無くなりました。すると決まったからには、ファンとしては全ての出演者が楽しく紅白の晴れ舞台を盛り上げていただけることを願うばかりです。
楽しみになって来ました。
それにしても、清宮レイさんの笑顔を見るたびに救われる気持ちがするのは何故なのでしょうか。この笑顔が永遠に続けばこの世は実は極楽浄土なのかもしれません。

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揺蕩う思い

2019年12月28日 乃木坂46
「揺蕩うばかりのピエロ」とは何を意味するのでしょうか。
深読みするのは無駄だという意見をよく目にします。でもブログのタイトルに何を選ぶかは、書き手が最も頭を悩ませるところです。ここに「揺蕩う」+「ばかりの」+「ピエロ」と、何となくネガティブな言葉が並ぶとあらぬ邪推もしたくなるというものです。
とにかく、乃木坂46の卒業queueは私たちの想像を超えた長いものになっている可能性が高く、順番が来ないとその宣言ができない状況であり、思うに大きなストレスになっているのではないかと。
年末が一つの山で、2月のバースデーコンサートあたりが二番目の山のように予想しています。
ところで全然話題は違うのですが、某雑誌の表紙の「二番目は嵐」というキャッチはいいところを突いているとは思います。しかし実際には瞬間的な強い風ではなく、じわじわと微風の影響が広がっていった事実を踏まえると、「二番目の嵐予想」か「二番目は台風並みの強風の予感」という意味をキャッチーに表す言葉が相応しいと感じます。「二番目の風は心に優しい微風」なんてどうですか。

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紅白で乃木坂46が披露するシンクロニシティは三坂合同パフォーマンスになるという報道が一部でなされています。これが本当だとすると、2019年10月26日のこのブログ「シリーズとグループ」(https://albireo.diarynote.jp/201910261144419676/)でも書いたように、リストラの布石乃至は出発の号砲ということになるのでしょうか。
確かに欅坂は一部信者以外には完全にその存在が空気になっており、日向坂46も早くも限界が見え出し、肝心の主力艦である乃木坂46自体は2017年頃からピークを打った様相のまま改善はないという状況を見ると、某総合プロデューサの某アイドルグループの手法に倣って最後の延命により金蔓を確保したいという商業上の理由は理解できないでもありません。
しかし、先ほどのブログ記事にも書いたように、限界や停滞それ自体はどんな商売にもあるものであり、そこで止まるということがその組織のファンを含めた存在意義や価値の定義になっていると私は考えています。そのまま続けられるとすると、いつかは老舗になり、永遠に近い商売ができる可能性があります。もちろん商品は時代に合わせてアップデートする必要はあるでしょうが、根本にある意義や価値の本質を変えずに提供し続けることで永続性の権利を享受することができるというものでしょう。
幸い乃木坂46は1、2期生に続き3、4期生にも素晴らしいメンバーを迎えることができ、上記の老舗の資格が得られる準備は整っていると考えられます。だから今、商売の規模の拡大を図るのではなく、寧ろ縮小均衡を上手に目指していくことが現在考えらえる最善の手段ではないでしょうか。
先の紅白の件については、少なくとも乃木坂46のターンで失神芸で炎上商法を繰り返すというようなことがなければいいなあと希望しています。老舗にとっては人口に膾炙しないのがある意味名誉であって、炎上という事態は最もあってはならないことなのですから。

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紅白歌合戦の歌順が発表されました。乃木坂46の出番は結構遅い方であり、夜8時以降になることはほぼ確実です。とすると、これまでの慣習により中学生の出演ができないことから筒井あやめさんがそれに該当しそうです。
一人だけ出られないというのは少し可哀想な気がします。尤もそれは若いということを意味しますので、これから先に多くのチャンスがあるとも言えますが、乃木坂46が永遠に紅白に出続けられるという保証もありません。何らかの形で参加できることを祈っています。

(5353)

与田祐希さんのブログで触れられている今年初めの目標が何だったのか覚えていないので見返してみました。(ご本人と同じ行動)
与田さんの今年のブログは昨日ものを含めて7回(!)。リストアップが簡単にできるので一応一覧にしてみました。

2019年
1月19日(土) 年が明けている...!!!!(・Д・)
1月26日(土) 多分今日のブログはサクッと読めると思うのでちょっと覗いていきませんか?_φ(・_・
3月24日(日) 卒業
6月2日(日) 19才
6月29日(土) おしらせです⊂((・⊥・))⊃
9月28日(土) レアな与田だよな!あれ
12月21日(土) 2019年終わりそうなので目標達成できたか過去のブログを見返したら落ち込みました(´・_・`)

基本的に土曜か日曜に更新されること、更新頻度は一定していないことがわかる更新日ですね。3月24日の表題はわかってはいたけれど、一瞬どきっとしますね。また6月29日の「おしらせ」という用語も体が反射的にびくっとしますな。
さて、1月19日のブログに書かれていた目標は下記のとおりです。

1.身長伸ばす
2.バンジージャンプする
3.健康に生きる
4.演技のお勉強する
5.湯船に毎日浸かる
6.お部屋をおしゃれにする
7.パフォーマンス力とトーク力向上
8.東京でペット飼う
9.猫背を治す
10.ちょこまかとブログをアップすることを心がける

2019年は目のまわりに疲れの色を終始見せていたほどの忙しいスケジュールの与田さんのことですから、10番の目標はまあ置いておいて、それ以外のどれが達成できてどれが未達だったのでしょうか。詳細な解説が欲しいところです。10番も「心がける」ということなので、優しい彼女のことですから「心がけてはいた(がアップはできなかった)」ということで目標自体はクリアされていた可能性はあります。まあ、乃木坂ファンからすると「心がけ」てくれるだけで有り難いというものです。
色々な事情があることは承知していますが、このところ日向、欅の両グループのブログ更新頻度が著しく低下しているのが気になります。全体人数が多いのでベースで有利なことを考慮に入れても乃木坂の方が数×内容では圧倒的にブログの出来では優れているというのが実情です。また日向、欅ではブログにコメントできないので、ライトファンの動向が掴めないですが、乃木坂のブログのコメントを見る限りにおいては、乃木坂ファン全体の民度や教養は改善傾向にあることは間違いありません。これは異常な盛り上がりを見せた最近の数年間が過去最低の民度であったことに比べると、かなり優良顧客が残った結果と見ることができるのかもしれません。(売上が減少したとすると、それは不良顧客の減分)
落ち着くところに落ち着いてきたということでしょうか。

(5309)

仮定の話として読んでください。
今、発達障害や精神病質、その他のどんな理由でもいいのですが、自身の行動を自由に抑制できない人がいるとして、その人が例えばクラシックコンサートなどの公演中に奇声を発するとします。その行為に対して本人は責任の持ちようがないのは前提として、この人がクラシックコンサートのチケットを正当に手配し、参加し、奇声を発したとした場合、この事案はどう扱われるべきなのでしょうか。
一方、悪意、悪ふざけ等これもどんな理由でもよいのですが、自身の行動を自由に抑制できるにも関わらず、クラシックコンサートのチケットを正当に手配し、先の理由で公演中に奇声を発する行為を行った場合はどうなのでしょうか。
公演者とその関係者、クラシックコンサートのその他の観客の立場からすると、彼ら(彼女らも含みます)はその場から排除される、あるいは事前に排除されていることを望むでしょう。
義務を無視して権利だけを主張する人から見れば、少なくとも最初の例については、奇声を発する人の権利を優先すべきと主張し、これを排除すべきと意見する者にはレイシストのレッテルを貼ることでしょう。
現在の世の中の風潮は後者の立場の主張が優先されているのは間違いありません。
ただ、最初に挙げた二つの例の違いは外見だけからは判断できず、公演者とその関係者、その他の観客は、その種の団体からレイシストと呼ばれ、圧力をかけられ公の場で謝罪させられるリスクを取ってまで先の奇声を発する観客を排除しようとはしないのではないでしょうか。そしてまともな観客であればある程この種のコンサートには参加したくないと考える人が多くなって、興業として成立しなくなり文化が失われるということもあるのではないでしょうか。
さて、これがアイドルのコンサートの場合はどうでしょうか。今の風潮では最初に挙げた二つの例のいずれもが認められる行為と判断される可能性が高いように思います。
昨日の乃木坂46のミニライブの最中に奇声を発した者は、公式には誰からも非難されず、齋藤飛鳥さんもそれとなく匂わせただけと伝聞で聞きました。
乃木坂46運営の根本的な勘違いとして、アイドルグループが世間に知られるようになり一般の人間がファンになる段階において、一部地下アイドルの公演で行われているような野蛮な行為(コール、マサイその他の特徴的行動)を禁止すべきであったと思うのです。実際、私も青空か命のミニライブのときに、近くで突然上がった奇声に若い女性が驚き怯えていた様子を目撃しています。私自身も毎回驚きます。
アイドルのコンサートはクラシックとは違うのだから多少騒いでもよいというのはかなり条件を限定した場合にのみ許されることだと思います。それは主に公演者が誘導して観客に行為を誘っている場面、例えばから揚げ姉妹のコールは当然許されるものだと思いますが、おいシャンのナカダカナシカコールは本人が出演していて他の出演者も忌避していない場合のみ許されるというような感じです。
私がレイシストに分類されるかどうかは、相手がどの思想パーティに属しているかにより決まることですから何とも判断できませんが、義務と自由はいつもセットであるということを前提として、義務を遂行できない場合は自由も制限されることがあるというように考えています。
最初の例が国と移民の問題だったら。私の意見は既に明確に決まっています。

(5259)

昨日は39℃から39.5℃の熱、今日は38.5℃の熱が出て、ほとんど一日横になっておりました。
てことはおいといて、
絢音さんのブログに情弱という言葉が出て来て笑いました。彼女は少なくとも情弱ではないですね。
てこともおいといて、
ここで唐突に印象に残るMVベスト3の発表です。3作に順位はありません。
まず一つ目、
「夏のFree&Easy」乃木坂46
なーちゃんセンターですね。とにかくおしゃれでかわいい。メンバーがそれぞれにヘッドフォンやイヤホンを付けていますが、私はななみんが付けていたKOSSの開放型イヤホンを愛用していましたから、何だかうれしかったです。あれは本当にいい音がして、私にはベストの選択肢だったのですが、開放型なので会社で使えないというのが致命的で今は出番が少なくなっています。
二つ目、
「やさしさが邪魔をする」日向坂46
調度を意外な場所に置くという設定に目を奪われることと、かとし、美穂、ひなのの3人のそれぞれの個性が明確に表れる歌といい、完成度の高さを感じます。この歌声を聴いていると、ひなのさんの「一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトルを思い出せない」は適当な曲だったのかが疑問に思われます。
三つ目、
「裸足でSummer」乃木坂46
これは永遠の名作でしょう。飛鳥さんに向かって降りていくカメラアングルが秀逸です。セールス的にあまり振るわなかったのが不思議でなりません。

まあ、この3つではないという方も大勢おられると思いますが、ここは私のブログですので、異論は認めません。

(5252)

今日(2019年12月7日)の大園桃子さんのブログはちょっとすご過ぎませんか。いやそれより最近私がなぜか蓮加さんのことが気になって仕方ない理由がこのブログにより判明しました。
乃木坂46のブログを読んでいていつも思うんですが、乃木坂メンバーって素晴らしいですよね。忙しいのにこんな素敵なブログを書いてくれるんですよ。それも全員が。(超忙しくてブログ更新頻度が計算できない程無限小になっているメンバーもおられますが。)これは文章に起こしてファンに知らせようという意識の高さも当然あるのでしょうが、それ以前に乃木坂メンバーの人間としての感性が素晴らしいということなのだろうと思います。
そしてこれも確信しているのですが、桃子さんが笑っているとき、きっと私も笑っているだろうと思います。

(5208)

チャヴという言葉をご存じでしょうか。綴りは「chav」。意味をここで書くといろいろ問題なのでご存じない方はご自分で調べてみてください。
さて、最近の46系アイドルを取り巻く状況を鑑みるに、諸悪の根源はファン層のチャヴ化なのではないかと思われてなりません。
選別・選択された乃木坂46のブログのコメント欄は比較的平和ですが、一般的なネット環境で見られる書き込みはまともな神経を持っているのかを疑うようなもので溢れています。これは単にファン層の問題ではなく、この日本の社会の構図がそのまま乃木坂46という媒体を通じて表現されていると考えることができるように思います。
日本は、と限定するよりも、世界中で貧富の格差が拡大しつつあります。ここで言う「貧富」は財産の多寡のことですが、それ以外にも精神的な素養、すなわち教養の多寡についても「貧富」の差が拡大しつつあります。
財産がない人に教養がないのはありがちなことです。しかし、財産を持っていることと、その子供に教養があることの間には明確な関係はないように感じます。金銭的貧富の差の拡大は少数の資本家と多くの貧民を生み出し、貧民の劣等な文化は数の力によってその力を増強します。またそこに他国の陰謀が絡んで、より一層文化の退化が進展し、同時に無教養の社会支配力が高まり、やがて国全体の力が弱まるという可能性はないでしょうか。
教養を持たない貧民と、金はあっても同じく教養を持たない精神的チャヴがこの国に蔓延するのはありがたい話ではありません。
というようなことをまるで仏典のようにありがたい(仏典を読んだことはないけれど)乃木坂46のメンバーのブログを読みながら妄想してみました。

(5204)

なんとなく

2019年12月2日 乃木坂46
最新のれなちさんと桃子さんのブログを読んでいると、少し危うさを感じるのです。杞憂でありますように。

(5163)

このブログの11月28日の記事で、れなちさんと純奈さんのテレビ歌番組出演について書きました。純奈さんが表題曲代打の出演は初めてであることはわかっていましたが、れなちさんの出演実績について自信がなかったのでぼかして書いていました。
なかなか情報がなかったのですが、どうやら少なくとも2017年11月15日のベストヒット歌謡祭2017のインフルエンサーに出演されていたことは確認できました。
その他の選抜経験のないメンバーで代打出演実績がないのは純奈さんと琴子さんのお二人だけですので、今回純奈さんが出演されたことで琴子さんだけが表題曲出演がないメンバーという事実自体には誤りはなかったようです。
中途半端な書き方で大変失礼いたしました。

(5149)

3,4期と1,2期に分かれてそれぞれコンサートとテレビ出演があったようですね。テレビの方は録画をまだ見ていませんのでこの目で確認してはいませんが、ネットの情報によるとれなちさんと純奈さんの出演があったそうで、大変に喜ばしいことです。一方琴子さんは出演されなかったらしく、心配されるところです。
今回の放送で私の記憶では、アンダーとしての出演以外で表題曲に参加したテレビ出演経験がないのは琴子さんだけということになるのでしょうか。(全メンバー出演の紅白を除く。)体調不良が原因であってほしいというのはちょっと誤解を招く表現に聞こえるでしょうか。それ以外の理由で彼女の意思で不参加を決めたのであれば、まあそういうことですね。
この2班体制での活動は、元乃木坂から新乃木坂への大きな変革を意味します。それぞれが成功であったなら、それは新体制への移行準備が完成したということです。喜ばしいことなのでしょうが、ちょっと淋しい気もします。複雑です。

(5123)

今日(2019年11月19日)のれなちさんのブログの内容も素敵でいいのですが、コメント欄が優良ファンで溢れているようです。
こんなに質の高いコメント欄は初めて見るように思います。れなちさんの人徳のなせる業ですかねえ。

(5029)

きいブログ

2019年11月3日 乃木坂46
2019年11月1日の深夜に上がった北野日奈子さんのブログを称賛する意見がたくさん見られますが、私は読解力のある皆さんが羨ましい。
乃木坂加入からのすべての彼女のブログを読んできて、それなりに理解した気持ちになっていた私には、今回のブログは難解すぎて理解できないです。
むしろ彼女の精神状態が心配になっているので、誰か解説して!
欅坂の夏鈴さんのブログはネットの皆さんのおかげで完全に理解できました。皆さんの読解力はすごいですね。

(4913)

3に関する断想

2019年10月24日 乃木坂46
まだ左手が自由に使えなくてキーボードを軽快に打つということができませんのでブログもさぼり勝ちになっています。
さて、このところ何故か私に3期生ブームが来ておりまして、未来の答え、トキトキメキメキ、平行線のMVを無限ループしています。1期生、2期生のブログでの発信がほとんどなくなり、3期生ももちろん少ないのですが、時々ブログが上がると1期生、2期生のそれより幸福感が大きいのは何故なのでしょうか。3期選抜未経験メンバーをぜひ選抜に入れてほしいと希望する毎日です。
話の脈絡がなくてあれですが、最新のりりあんブログの最後の「今日はなーし。残念!!」は最近では最も笑わせてもらいました。やるな、りりあん!
明日も午前の通勤時間帯は雨予報です。乃木坂3期生の神通力で、私が徒歩で通勤している時間帯だけでも雨を止ませることができるといいなあ。

(4833)

伊藤寧々さんのご卒業から今日で5年ですね。
卒業を知った私の驚きは何となく今でも覚えています。一目乃木坂在籍中の寧々さんを見てみたくて、初めて乃木坂46の全国握手会にあわてて参戦したのが私の握手会デビューでした。
現在twitterやInstagramで見る寧々さんはその当時といい意味で全く変わっておられず、私も時々覗きに行っては元気なお姿を確認してほっとするのが習慣になっています。
でも今日のInstagramによると、発信内容は意識的にポジティブなものに限定して行っていたとのこと。どおりでいつも幸せな気分になることができたんですね。
このブログもそんな風にしなければ。
今後のねねころに幸多からんことを。

(4788)

文章スタイル

2019年10月19日 乃木坂46
娑婆に戻って来ました。いやあ、いつもの生活というのがどれ程ありがたいのか身に染みて感じました。
さて、10月17日の早川聖来さんのブログを読んでいて気付いたのですが、内容はともかく、文章のスタイルが私のそれと似ていませんか。例えば改行や読点(「、」ですね)が少ないところです。かわいいお嬢さんと理屈っぽいおじさんではその文章の価値は比較になりませんが(もちろん「お嬢さん」>「おじさん」です)、まあ似ているということに意味があるのかもしれません。興味や集中力が続くのはどれだけ過去に感動したかということにかかっているらしいですから、何にせよ私の心にインパクトを与えたということで私の聖来さんへの興味は持続することになるかもしれません。(もちろんストーカーではありませんし、なりません)
それにしても、乃木坂の皆さんは美人さん揃いですねえ。今回のセラミュのブログで改めて感じました。

(4784)

先ほどあがった岩本蓮加さんのブログにも書かれていますが、座長として初めて臨むアンダーライブ開始にあたって、「ライブが終わった時の感想が、可愛かったなぁで終わって欲しくない」と発言されたそうです。
これは結構本質的であるように感じます。アンダーライブのあり方だけでなく、グループ全体を通してこのようでありたいという彼女の希望なのかもしれません。私がこのブログで何度も指摘しているように、どのようになりたいか、どのようでありたいかを言葉にするのはとても勇気が必要かもしれませんが、それは非常に重要なことです。
アンダーライブに関しては、伊藤万理華さんが「アンダーライブの概念をぶっ潰す」と宣言されたのが記憶に残っています。言葉は覚えていないのですが、寺田蘭世さんも座長を務められたときにアンダーライブに関して何らかの発言をされていたように記憶しています。
乃木坂のメンバーが乃木坂の方向性について言及することは滅多にありません。それは意図的に止められているのか、自律的に発言しないのか、発言する勇気がないのかのいずれかの理由かもしれません。しかし、結果として何も言わなければ、ファンからすれば何も考えていないのと同じです。
日本の社会あるいは会社では、このような発言は組織的にはあまり好まれないのかもしれません。卑近な例では、私が勤めている会社は今存亡の危機に瀕していますが、その原因は何も主張しない、何も決定しない、何も反対しないひとが選ばれて経営者になっているからです。
組織の構成メンバーが自らの組織の将来を考え、今何をすべきかを常に発言しなければ、お互いに何を考えているのかが伝わらないはずです。コミュニケーションには共感し合うという機能もあるかもしれませんが、私は主張し合って凸凹の存在を確認し合い自らを修正するという機能の方がむしろ重要なのではないかと考えています。
その観点から、今回のれんたんの発言は、彼女が3期生初のアンダーライブ座長であり、3期生最年少(4期生まで入れても2番目の年少)であることを考慮しなくても大変に立派な態度だと思うのです。
クソガキ感のあるれんたんも懐かしいけれど、次世代を担う人物はやはりこうでなくてはなあと感じられたのはとても嬉しいことでした。

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