昨日(2018年8月18日)のブログでれなち(山﨑怜奈)さんが、ブログは交換日記と書いておられました。乃木坂のブログが楽しいのは大手の経営が運営するグループとしては、ブログにコメントでき、しかもコメントの反映が比較的早いということが理由の一つなのだと思います。同じ系列でもKEYAKIの場合はブログにコメント欄がなく、れなちさんが言うような「交換日記」(完全公開版なので本当の意味の交換日記ではないけれど)にはなり得ないのがKEYAKIブログの最大のdisadvantageだと私は感じています。KEYAKIのブログが開始されたとき、私は運営宛にコメント欄を設ける計画はあるのかと試しに聞いてみたところ、何と返信があり、コメント欄を設けるときはホームページにて告知しますとありました。しかし現在でも告知はなく、コメント欄の設置もありません。
このブログの一つ前の記事に書いたように、乃木坂のブログの更新頻度が著しく低下しています。私の最近の気掛かりはこれ一つに尽きます。何とか悪い方向へは行きませんように。

(2089)

乃木坂のブログ更新数が日に日に減っていくように思います。
7月31日以降、何とか続いてきた連続更新ですが、8月16日には夜の9時頃(ブログ最後の記載時間基準)に梅澤美波さんが更新して何とか首の皮一枚でつながり、翌17日は中田花奈さんと樋口日奈さんの2件だけ、18日は若月佑美さん、井上小百合さん、山崎怜奈さんの3件と、常に綱渡り状態が続いています。
別に途切れたからと言って問題はないのでしょうが、いろいろ気になる案件があり、その一つの指標としてウォッチしているのです。さあ、今日19日はどうなるでしょうか。(今0時20分です)

(2089)

ねらーに教えてもらって初めて気づいたのですが、米徳京花さんのtwitterからリンクされていたinstagramの写真がすべて見られなくなっています。何か変化があるのでしょうか。
乃木坂4期生として帰って来てほしい気持ちを少しだけ持っています。

(2080)

乃木坂のこれまでの活動について、若月佑美さんが興味深いことを発言されています。
『乃木坂46として活動を続けていく中、逆にジコチューな気持ちは無くなりました。乃木坂46は、いつもグループ全体の調和を大事にしてきました。しかも7年間活動を続けるなか、メンバーそれぞれが「自分がどうしたい」ではなく「グループ全体としてどう動くべきか」「まわりからどう見られるかを大事にしなきゃ」という意識を、活動を重ねるごと強く持つようにもなりました。』(アイドル@Utaten、
https://utaten.com/idol/specialArticle/index/2839での若月佑美さんの発言より)
私のようなコンサーバティブなファンは将にこの調和のとれた乃木坂46を平均的な姿として見つめて来ました。時にはこの調和が崩れる瞬間を目撃し、それを批判したり不快に思ったりしたように思います。それは例えば二期生、三期生の加入時に、まるで何もない空間から突然現れたように予期しないセンターが生まれた類の出来事です。しかし、この後のインタビューで若月さんが語っているように、私は新しい風をもたらす変化を同時に待ち続けても来ました。
変化には急激なものと緩やかなものがあります。私は緩やかなものを好み、またそれを期待していましたが、往々にして緩やかな変化というものはあまりなかったか、あっても気づかなかったように思います。急激な変化は誰の眼にも明らかでインパクトがあり、興業的には好まれるのでしょうが、それは同時に痛みを伴うものであって、ファンにとっては功罪相半ばするというところでしょうか。
上の記事で同時に取材を受けている岩本蓮加さんの態度が云々という意見をネット上でちらほら見かけます。彼女の活動を私はそれほど知らないのでそうであるともないとも判断しかねるものの、蓮加さんといえばまだ中学生のはず。中学生の言動に対し匿名で批判する人たちの態度こそが問題あるように感じてなりません。まあ、私自身がここで匿名でいろいろな(といってもほとんどは運営に対して)批判をしているので人の態度に文句を言う資格はないかもしれません。
ただ、上記とは矛盾しているかもしれませんが、最近感じるのはやはり年齢が若く経験の浅い層からの新しい風がなければ、組織や集団や国家は時代に即したものになっていかないのではないかということです。そもそも時代に即さなければならないのかどうかすら私には定見はないのですが、人間の社会はいつも同じではなく、不変ということはあり得ないので、やはりその時代を長く生きるであろう、そして社会的にはまだ弱い立場であろう人たちの意見というものは無視してはいけないのではないかと思います。
私自身への自戒を含めて主張するのですが、若者には偏りのないしっかりした教養を身に付けてもらうように大人が努力し、教養ある若者の言動に対しては寛容な態度でそれを尊重していくべきなのではないでしょうか。
以前から日本はいわゆる物質的資源のない国だが人的資源は豊富にあると言われてきました。ただ将来に何が資源になり得るかはわからないので、もし日本がその新しい資源を手にしたときに、それを正しく世界のためにハンドリングしていくためには、優秀な人材を育てておかなければならないのは間違いないと思います。
というわけで、私のこれまでの経験では乃木坂のメンバーは全員すばらしい人材であったことから、ネットの皆さんも根拠なく批判するのではなく、建設的な意見を出し合おうではないですか。日本と世界の将来のためにも。そして、乃木坂46とそのファンのためにも。

(2060)

引用していいものなのかよく分からないのですが、鈴木絢音さんの755に次のような文章がありました。
「入院して、通院して、制限の中でも楽しく過ごした記憶があるし、その中で出会った人もたくさんいるし、得たものもたくさんあるけれど、自由に過ごせていたら今の自分がどれだけ違うんだろうとか時々考えちゃうこともある。/でも最近気づいたことは、起きてどこも痛くなくて調子が良いことが幸せだってこと。/明日も元気だったらいいなぁ。」(2018年8月11日鈴木絢音(乃木坂46)755より)
私は長期の入院の経験はありませんが、30歳以降持病と付き合い続けている関係で、絢音さんの発言には同様の感想を持っています。
元気ならばもっともっとできるのに、病気のために100%の力を出せないストレスを感じながら、一方で病気を知らない健康な人からは単なるさぼりとして見られることもあり、それがまた新たなストレスになるのです。
でもしっかり理解できている訳ではないですが、人生とは自分が思い描く将来の上昇軌道から、いつも少しずつ速度を失って下側の軌道を進むことを余儀なくされるということの連続ではないでしょうか。だからといって失われる分を差し引いた下側の軌道を初めから想定していても、結局はそれより更に下の軌道を進むことになるように思います。
何も期待せず、ただ漫然と毎日を過ごして成長もせず、死に向かって確実に進んでいく程の勇気があれば悟りの境地に達せるのでしょうが、私には無理そうです。
6th Year Birthday Liveのところでも書きましたが、人間の将来の命の保証はそれ程確かなものではなく、特に年齢が高くなる程、死までの残された期間の期待値が確実に短くなるので、悟りを開くための努力をする方が知恵があるということになりそうです。ただそこは凡人には到底無理なところで、あがきながら死んでいくために毎日を必死に生きるしか私には選択肢がありません。
絢音さんの、少なくとも外見から受けるどこか達観したようなご様子が大病の経験から来ているのだとすれば、非選抜であった頃のいつかに発言されていた「私は私のペースで行くから、見守っていてほしい」というような内容もなるほどなと腑に落ちるところです。
彼女は私より大人だということでしょうか。

(2051)

昨日配信がありました。
私はたまたま体調が優れず、早めに帰宅したところ、たまたま配信されていたのを見ることができました。決してのぎおびをみるために体調が優れなかったわけではありませんので、念のため。
さて、日奈子さんのお顔を久しぶりにまじまじと拝見しました。率直な感想を言わせていただきますと、体調に関してはお元気そうなものの、少々痩せ過ぎではないかと思いました。このお年頃の女性の標準的な体重はいかほどなのでしょうか。それよりは細くていらっしゃるようで、男性の好みからするともう少しふくよかな方がより魅力的かと思います。
彼女の言によると、22歳になられたとの事。16歳で乃木坂に入って、いろいろあって今の彼女があるのですが、ときどき下を向いたときに加入当時の面影があり、ああ日奈子さんだなあと感じた次第です。
米徳さんの卒業のとき、辞めないでと言えなかったことや、きみしろみの死を悲しんだ優しい彼女も立派な大人になられて、自身の老化を改めて認識しました。まさに、私もOld soldiers never die, but fade away.(老兵の思いはなくならないが、見えなくなる。)の時期を考える必要があるのではないか。ここに偏屈な感想を書いているのは不適切なのではないか。思いは残しつつも他界を図るタイミングなのではないか。いろんなことを考えた配信でした。

(2008)


7月31日は乃木坂46公式ブログ更新ゼロの日でした。
近いところから過去に向かって並べてみます。
なお、過去のブログゼロは既卒業者だけが更新していた場合のチェックができないので、その状況のものを含む可能性があります。

2018年7月31日(火)
2018年7月22日(日)
2018年5月3日(木)
2018年2月23日(金)
2015年9月9日(水)
2015年9月4日(金)
2015年9月3日(木)
2015年8月5日(水)
2015年3月31日(火)
2014年5月27日(火) 
2011年11月12日(土)

2011年11月11日以降、合計11日ブログ更新ゼロの日がありました。
曜日別では日1月0火3水2木2金2土1と、月0火3を含めてあまり有意な差はありません。月別では(1月)0(2月)1(3月)1(4月)0(5月)2(6月)0(7月)2(8月)1(9月)3(10月)0(11月)1(12月)0とこれも有意な差は無いように思われます。
年別では2011年1、2012年0、2013年0、2014年1、2015年5、2016年0、2017年0、2018年7月まで4となっていて2015年と2018年に集中しているように見えます。
2015年と言えば、1stアルバム『透明な色』、『乃木坂46 3rd YEAR BIRTHDAY LIVE』(西武ドーム)、生駒里奈と松井玲奈の交換留学解除、『乃木坂46アンダーライブ3rdシーズン』(Zeppブルーシアター六本木)、『乃木坂工事中』(テレビ愛知制作、テレビ東京系)の放送開始、『じょしらく』(AiiA Theater Tokyo)、『初森ベマーズ』(テレビ東京系)、舞台『すべての犬は天国へ行く』(AiiA Theater Tokyo)、日本武道館で「アンダーライブ at 日本武道館」、「Merry X’mas Show 2015」、「君の名は希望」で第66回NHK紅白歌合戦に初出場と激動の1年でした。また、前年最後の10thシングル「命は美しい」で斎藤ちはるさんが選抜入りを果たし、いわゆる「思い出選抜」は終了しました。その後の年が激動でなかった訳ではありませんが、乃木坂選抜上位メンバーの固定化が確実不変なものになり、乃木坂の定常化が進んで、波乱のない毎日が淡々と過ぎていったように思います。
2018年はブログ更新ゼロ頻度から見ると、激動の年なのでしょう。
ぜひ、「よい」激動であってほしいと思います。私の危惧はブログゼロがメンバーの気力体力の限界と乃木坂の活動への意欲の減退を暗示しているのではないかと言うことのみです。杞憂であることを祈っています。

(1985)

ガクたび

2018年7月30日 乃木坂46
28日に放送されたものを昨晩見ました。
感じた点は以下のとおりです。
(1)乃木坂のメンバーは時間が無い中で、しっかり振り入れができていて、私の目からはプロに見える
(2)表情とダンスを通じてダンスの中で置かれた自分の役割を表現することができる
(3)伊藤純奈さんの底力は計り知れない
(4)みり愛さんほかメンバー全員が魅力的
(5)みり愛さんと珠美さんのダンスに味がある
(6)まあやさんは気の毒だが、よくあの短時間で振り入れをして、不完全ながらも本番に臨めた事。その精神力と努力と才能と責任感に感動した
(7)高校生との交流が最終的に心の交流まで高められている。特に二期生のお二人が見事
(8)ハプニングを含む見所を盛り込みたかったのか、完全に無理なスケジュール管理であり、運営の無能さと、メンバーに対する配慮のなさ、財産であるメンバースキルの無駄遣い、引いてはファンの期待を裏切る最低さ

よくライブ後などに聞かれるメンバーからの運営含む裏方への感謝のことばが虚構に見えてきてしまいます。
メンバーには感動し、感謝するが、運営は最低であることを再認識しました。

(1873)

忘れそうなのでメモとして書いておきます。
2018年7月22日は乃木坂46公式ブログの更新件数がゼロの日でした。
前回が5月3日、前々回が2月23日でした。

(1835)

Real Soundさんが乃木坂の先日のバースディライブのことを記事にしておられます。その中でBirthday LiveのことをAnniversary Liveと読み替えて記事を構成されているようですが、これは違うと思います。
そもそも誕生日は記念日の一つですが、記念日は広い概念であるのに対し、誕生日はごく限定的な用語です。集合で言えば誕生日∈記念日であり誕生日=記念日ではないのです。
それでは誕生日のお祝いとは何か。キリストの聖誕祭のように故人の誕生日のお祝いはまた違うのでしょうが、日本人にとって誕生日にお祝いするのは、よくこの1年を生きてきたということが本人にとっても家族など関係者にとっても喜ばしいのでお祝いをするということが普通だと思うのです。将来の命というのは実はそれほど確かにあるものではなく、1年という比較的長い期間を考えると決して低くはない確率で失われるかもしれないものなのです。だからこの1年を無事に、場合によっては死に近い経験をしたかもしれないがとにかく生きてきたということ自体が喜ばしいのです。
乃木坂のBirthday Liveの場合は主催者(というか興行者)が1年間生き延びた本人ですので、少なくとも形の上では自分の命があることをそれを支えたファンに感謝するという意味が強いと考えてよいと思います。通常の誕生日のお祝いでも、お祝いの対象となる人物を昔から知っている人は、あんなに小さかった誰々がよくここまで成長したねだとか、身体が弱くてよく熱を出したり怪我をしたこともあったねだとかのように過去を振り返りながら今日n回目の誕生日を迎えられたことを祝うものだと思います。
乃木坂はこれまでBirthday Liveでは全曲披露を貫いて来ました。それは上に書いたように、ファンは過去のどの部分を見て乃木坂を大切に思うのかがファン毎に異なるため、過去のすべての歴史を披露することにより千手観音の手のように誰もこぼれ落とすことなく感謝の気持ちを伝えることができるのだと私は考えて来ました。つまり過去の自分を見てファンになり支えた人々に感謝するための催しがBirthday Liveなのだと思います。
だから過去(の一部)を切り捨て、これからの将来のファンを獲得するためのBirthday Liveなどという概念は存在しないのです。
確かに方法論としての全曲披露は物理的限界を迎えています。3日間をもってしても全曲披露できないならば、一部は集合体としてメドレー形式にするとか、複数年を一単位として擬似全曲披露するとか、工夫は必要でしょう。できれば全曲フル尺が望ましいけれど、単位年内のどこかではフルを披露するなどのように基本的に全曲を披露するための手順のルールを作るべきでしょう。
芸能界は刹那的なものであり、複数年を考慮した計画など意味がないよという意見が聞こえて来そうですが、先に述べたように将来の保証はないが、あるものとして計画するというのが人としての基本ではないでしょうか。
よく企業の価値として「清算価値」と「継続価値」というものが議論されます。乃木坂運営はこのところ清算価値を基準に事業運営をおこなっているように思えて仕方がありません。私たちファンは継続価値により企業(=乃木坂46)を考えています。そうでなければアイドルを応援する意味自体がないことになってしまうからです。だから、運営はリスクヘッジはしてもよいが、清算を前提とした事業運営をファンに見せるものではないというのが私の持論です。
とにかく、Birthday Liveは夏の全国ツアーとは意味合いが全く異なるのですから、その前提を忘れてはならないと思います。Birthday Liveにおけるセットリストは単に順番を書いたものであり、どれが選ばれるかを書いたものであってはならないとここで強調しておきます。

(1833)

ジコチューで行こう!の「行こう」は「ゆこう」なのですね。
音楽の日のジコチューはTV初披露の割にはオリジナルメンバーだけではないのがちょっと意外でした。それでも全体的に夏曲らしい構成で、あしゅセンターの曲としては私は嫌いではありません。
ただ、乃木坂らしいかと言われると少しうーんと唸るところで、AKB関連のどこかのグループでもしっくり来そうな感じもしないではありません。そこがちょっと弱いかな。今誰のシーソーが強すぎた影響が今になって現れて来ている可能性もあります。
ただ、あしゅ、美波さん、絢音さんの縦一列は強い存在感があります。これが新しい乃木坂のはじまりか、かもしれません。

(1700)


与田さん...

2018年7月19日 乃木坂46
与田祐希さんのブログが夜遅くに更新されました。
実は与田さんは精神的に非常に強い人なのかと思っていました。何の根拠もなくそんな風に考えていました。でも、実際に彼女にとっては若い後輩メンバーとして今の立場にいきなり抜擢されているのは、大変なことですよね。想像すらできなかった自分を真剣に反省しています。
偉そうにこのブログで薀蓄を垂れたりしていますが、この齢になっても人の気持ちが理解できていないところは子供だった私から全く成長できていない気がしています。
今回、今日のブログを拝見して、彼女にとても興味を持ちました。もう少し勉強してみようと思っています。もっとも最近は加齢に伴い、自分の気持ちも十分に制御できていない状況になりつつありますから、加齢による能力低下と学習による能力向上が足し引きでプラスになるのか甚だ心許ない状況ではあります。
思わずコメント投稿しようとした気持ちをぐっと抑えて、このブログで呟いておきます。

(1670)

ネットを見ていたら、琴子さんがツインテールをしなかったのは、美月さんの要求がひど過ぎたからというようなことを言っている人がいるようですが、それはどうなんでしょうか。
ちなみに琴子さんがツインテールをしたことがないと思っているなら、2014年3月4日の研究生ブログが琴子さんの番だったので、とりあえずそれを見てください。そこにツインテールの琴子さんがいるはずです。4年以上前ですけどね。

それはそうと、本日(2018年7月19日)の山下美月さんのブログに、「実はこの時蜂がブンブン飛んでいました/私にも友達ができました」とあるのですが、蜂と友達の関係が私にはわかりません。誰か教えて!
美月さんの今回のブログは短いけれど、以前のようなテンポのよさがある文章でした。美月さんらしくていいですね。

(1670)

今日も平和

2018年7月17日 乃木坂46
みり愛さんの頭頂部がかわいいことを発見しましたので、みなさんに報告します!畏れながら「後頭部」は映っていないと存じます。
今日(2018年7月17日)はのぎおび⊿の当番は渡辺みり愛さんでした。40分くらい遅れて始まり、45分間くらい配信してくれました。
みり愛さんが笑っているとこちらも笑顔になるのが本当に不思議です。楽屋の配置がみり愛さん、きいちゃん、まあやさん、みなみさんの4人だったらしいですね。確かに平和な組み合わせです。
乃木坂はみなさんそうなんですが、笑顔になっているときが最高に美しいですね。にこやかに過ごすことの重要性を教えてくれているように思います。私も気を付けなければ。
世の中の情勢は、自然を含む生活環境がとてもいいとは言えない状況ですが、せめて心だけは安らかでいなければと感じます。難しいですけれど。

(1658)

現在のぎおび⊿のShowroomに佐々木琴子さんが出ているのを見ています。
よくしゃべる!季刊乃木坂のメイキングビデオのときの元気な琴子さんを思い出しました。まちゅ(松村沙友理さん)が琴子さんの代わりにツインテールをしていて、宿題の代理ってOKなのかと、大きな発見をしたような気分になりました。また山下美月さんがこれまた代理で明日のみり愛さんへの課題をボードに書くというのも新鮮で、この元気で陽気な琴子さんが新しい乃木坂を作ってくれるのではないかと感じています。
と書いていたら、30分で配信が終了してしまいました。20分以上開始予定時刻から遅れて始まったのに、あっという間に終了してしまい、こんなところも何だか琴子さんらしいですね。だいたい幕張メッセの第3ホールで一人で配信しているのもシュールですし、当然ツインテールの琴子さんを期待していたのに巧妙に期待を裏切ったり、コンタクトを入れていないのでコメントが読めないことを理由に一つもコメントを拾わなかったあたりが新時代の到来を感じさせます。
琴子さんが朗らかだと日本は平和!という思いを新たにしました。

(1643)

先ほど15日22:00付けで大園桃子さんのブログがアップされました。
桃子さんはこんな文章を書く人だったのか、実はよくわからないのですが、そんなことはどうでもよくて、少し休養が必要なのではないかと感じました。
以前、ブログ更新の少なさについて「大物は云々」などと中傷めいた書き方をしたことを反省しています。今日はもう遅い(16日0:15頃にこれを書いています)ので、明日の朝できるだけ早く、当該部分を削除します。
桃子さんとそのファンのみなさまには大変申し訳ありませんでした。

(1621)

中田花奈さんの一つ前のブログ(2018年7月11日)にコメントしたのですが、24時間以上経っても出てこないので、弾かれたものと思われます。
書いた内容は、
(1)ライブのセトリと感想がないのは花奈さんらしくない。
(2)文章がいつもの花奈さんのものと少し選ばれる言葉が異なる。
(3)疲れているはずなので気を付けてください。
という趣旨のものでした。(1)か(2)がだめだったのでしょうか。ちょっとだけ書きながら弾かれるかもしれないと思っていました。
ちなみに今日は今年2回目の13金です。今のところ斉藤優里さんからのメッセージはありません。もう彼女にとって13金は過去のものであり、今更取り立てて何かを行うということはないのでしょうか。21thシングルでは選抜入りしていることもあり、何か動きがあるのかもしれません。
私たち一ファンにはそのあたりの事情は全くわかりません。
乃木坂1期生にとって、ブログの価値はなくなりつつあるのかと感じる今日この頃です。
今日は鈴木絢音さんの素晴らしいブログについて書きたかったのですが、やや後ろ向きな思考が多い最近の私らしい内容になってしまいました。
最近何故か急に閲覧数が多くなっています。閲覧者の方のご期待に応えられる内容はしばらく書けそうにありませんので、数日に一回くらい開いていただければ十分かと存じます。

(1574)

このところ乃木坂とひらがなけやきばかりを見ています。
それぞれを見ているとお互いに似ているように思いますが、見比べてみるとひらがなけやきのダンスには切れがあり、乃木坂のダンスにはたおやかさがあるように感じます。どちらかというと私は乃木坂のダンスの方が好きなようです。ただ、漢字を忌避する気持ちがひらがなけやきにひっかかりを作り、それとは別に長く見続けてきた乃木坂は贔屓目に見てしまうということがあるのかもしれません。
王道アイドルはもはや売れないという説が主流なようですが、確かに人間というものの本質について探求するという訓練を受けないで、スマホの小さな画面だけが情報源の若者がアイドルに対して期待するものは、その瞬間に即インパクトを感じるような劇薬的魅力なのだとすると、漢字欅のような一種奇抜な新興宗教の出し物の如き踊りが有効なのでしょう。一方で昔から日本人に伝わる精神的な、どこか時間や距離や速さや加速度だけでは決まらない動きが美しいと感じる者の目には、乃木坂のダンスはそのまま美しいと映ります。どちらかが優れているというのではなく、誰が何を好むかというマーケット戦略の違いということに尽きるのではないでしょうか。だから、インフルエンサーがやれ欅のまねだとか、ひらがなが乃木坂の後継者だとかいうような意見が流布されるのは、マーケット戦略に基づく作品になっていない場合があるということかもしれません。
乃木坂46の6thバースデイライブが全曲披露を止めたという歴史的な出来事について、その意味が今後の乃木坂にどのように現れてくるのかが大変興味深いところです。ことバースデイライブについては、単なる誕生日祝いとは異なり、神前に供えるために厳しく手順が定められた踊りを奉納するという見方を私はずっとしてきたものですから。

(1527)

かなりん(中田花奈さん)センターだそうです。春のメロディーから随分経って、返り咲きというところでしょうか。
ところで曲調や歌詞の内容を全く知らないので想像で書いています。
三角といえば乃木坂(あるいは坂道シリーズ)の象徴です。今回の三角の空き地というのはどこにあるのでしょうか。
もしかするとそれはどこにもないということはないでしょうか。
アンダーセンターということでは、みり愛さんがセンターを務めたことで、選抜の権利が発生していますが、絢音さんに追い越された形になっています。むしろアンダー経験のない美波さんや、三期生曲センターではあるもののアンダーセンター経験のないれんたんが選抜ということで、これまでの法則が崩れています。
そんな中、21stのアンダーセンター曲が所在の明らかでない「三角の空き地」というものをどのように捉えていいのか見当もつきません。というのは嘘で、ある種の運営からのほのめかしや提案なのかもしれないと考えています。
今後注意深く見守っていきたいと思います。

(1510)

つぶやき

2018年7月3日 乃木坂46
私はなぜ新しい乃木坂46を期待しているのだろうか。
そんなものはもともと存在しないのではないだろうか。
最初からあったものがなくなる時、すべてはなくなるのではないだろうか。
部分的にしか取り替えないなら、なぜ多くの優秀な人材を宝の持ち腐れ状態にしてしまうのか。どうしてそれを3回も繰り返すのか。
もうどのように考えても心の底から楽しむことができないように感じる。
生まれたものには寿命があって、もうそれが予見可能な状態になっているのだろうか。

(1464)


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